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創作

安全な場所 深沢レナ

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安全な場所

 

深沢レナ

 

昼寝しているあいだに窓から男が部屋に侵入してくる
男はわたしの上にまたがって性行為を強要し
悲鳴をあげるわたしの首を絞めて殺す
夢をよく見る
そういうときは大抵
目が覚めたあともしばらく動けない
汗なのか涙なのか
頬にしみて痛い
このまえ洗濯物の下着をイタズラされてからだ
昼寝をしていたあいだにベランダに入られた
窓は網戸にしたままで
薄い網越しに
犯人はわたしが昼寝をしているのを見ていたのだろうか
カチャンと新聞入れが閉まる音がして
目が覚めて
ドアの前に行ってみたら新聞入れにわたしのショーツ
少し考えてから
ベランダにいくと
下着だけが散らばっていて
動悸がはげしくなって
しばらく立ちつくしたまま
もしかしてと外の郵便受けを見に行く
鍵を回して開けると
わたしのブラジャーがきっちり畳まれて投函されていた
何が起こったのか
どういう意味なのかよくわからなくて
とりあえず110番にかけたら
すぐに制服を着た男が3人やってきた
玄関のドアを開けたまま
わたしは自分の見たものを説明する
犯人に心当たりはありますか?
首を横に振る
何も盗られてはいないんですね?
首を縦に振る
3人は顔を見合わせる
(きっとただのイタズラでしょう
そうして彼らは3賢者の贈り物みたいに3つの助言を残して去っていく
当面の間シャッターは閉めておいてください
女の子が下着を外に干すなんて無用心だよ
彼氏いるの? なるだけ泊まってもらいなさい
安全のため

 

水滴が顔を伝って
枕に小さな音を立てる
本棚の上の時計が1時を指していて
昼なのか夜なのかわからないけどきっと夜なのだろう
シャワーを浴びなきゃと思っているとスマホの受信音
今仕事終わったからこれから家いく
でもわたし映画見なきゃだよ
俺も見る
わたしはスマホを置いてベッドから這い出る
死んだみたいに冷えた廊下の床
さっと服を脱ごうとするがドアの覗き穴が気になって
念のため浴室のなかで服を脱ぐ
シャワーのお湯にあたり
こわばった体が少しずつほぐれていく
バスタブの上にのぼる白い湯気を
唸りながら吸い込んでいく通気口
むかしテレビで
振られた男が恨みを抱いて
元カノの浴室の通気口に隠しカメラを設置して捕まったという話をやっていた
わたしはちょっと考えを巡らせてから結論を出す
たしかに元カレは冷たい人ではあったけどそんなことをするようなタイプではなかった
普通の人だった
はず
上を見上げてなかを覗き込むが
網の向こうは真っ黒で何も見えない

 

背が2m近くあるから
彼が1Kのこの部屋に入ってくると縮尺が歪んで見える
ネットで買ったばかりの安物の白のカーペットに
30センチの黒い足跡がついているのに気づいたのか気づいていないのか
彼は靴下を脱いで廊下に放り投げ
キッチンに立ち
店からくすねてきたラム肉のシチューをタッパーから出し
鍋に入れて火をつけ木べらで掻き回す
まんべんなく
部屋にみちる獣のにおい
煮崩れた具を
皿に盛り
赤ワインを注ぎ
ローテーブルに向かい合って座って食べる
皿にスプーンが当たる音
いつも通り彼の仕事の話を聞きながら
咀嚼する
乱切りの野菜と子羊がわたしのなかで混ざり合う
骨をしゃぶり
ぜんぶ平らげた彼は立ち上がって
残った骨をゴミ袋に投げ入れる
ごろんとなった
彼は挿してあったアロマディフューザーのコードを抜いて
スマホの充電器のプラグを挿しながら唐突に言う
俺の勘だと犯人は案外普通の学生なんかだな
そうかなあ
そうだよ
そしてリュックから取り出しテーブルに置く
古びたポケットナイフ
むかし借金の取立てのバイトしてたときに使ってたんだこれ護身用に持っときなよ
わたしごしんじゅつなんかできないよと言うと
とにかくまず相手の手を狙えばいいんだよと言って
火傷の跡だらけの大きな手がわたしの手に握らせる
血のしみのついた柄

 

電気を消した部屋に浮かび上がる
ノートパソコンのスクリーン
ホラー映画なのに
うしろから彼が茶々を入れるからつられて笑ってしまう
こうやって二人で笑っていれば何も怖くない気がしてきて
寄りかかる
アルコールと油と汗のにおい
スクリーンのなかの女が怯えた顔をしている
静かになったら要注意
ほら
わたしの太ももをまさぐる大きな手
女が男に向かって怒鳴っている
大きな手はわたしの腰を抱き寄せ
脱がしてくるひとつひとつ皮を剥ぐみたいに
削がれたわたしは無抵抗になって
大きな手が軽々とわたしを抱きかかえて
後ろ向きにさせてわたしのなかを掻き回す
まんべんなく
煮崩れていくわたし
赤ワインにまみれて
女が叫ぶ
痛くしないから大丈夫と言ったのに
(信じる方が悪い
大きな手が音声をミュートにする
テーブルの上のナイフ
手足は切り落として
胴体だけの
四角いかたまりになったわたしを切り分ける
均等に
乱切りになって
わたしのなかで掻き回される死んだ子羊が鳴き
女は叫び
わたしは喚くが
わたしたちの声はミュートされている
行き場を失った声が暗闇に吸い込まれていく

 

下着泥棒にあった
って言うとみんな笑うから
わたしも一緒に笑った
大したことじゃない
ただのイタズラだから大丈夫
イタズラされた下着は
黒いビニール袋に入れて
固く結んで二重にして
燃えるゴミに出した
それから午後3時にはシャッターを下ろして
光が入り込まないように隙間をきっちり閉じた
やっと手に入れたわたしだけのこの空間で
昼下がりには電気をつけずにソファベッドに寝転がって
網戸越しに吹き込む風でカーテンが膨らむのを眺めるのが好きだったんだけど
安全のためには密閉しておかなきゃいけない
実家に知られたら一人暮らしなんかやめて帰ってきなさいとしつこく言ってくるに決まっているから
ちゃんと密閉しておかなきゃいけない
アンゼンのため

 

いつからか
他人が同じ空間にいると眠れなくなってしまって
たいてい考え事をしているうちに朝になる
いびきをかいている大きな塊を起こさないように
そっとベッドから抜け出る
廊下に散らばった靴下を洗濯機に入れてから
結局見終わることのできなかった映画を返しにいく
冬の早朝
見えないところで鳥が鳴いているのが聞こえて
息を吸うと
体の輪郭が戻ってくる
(大丈夫わたしはここにいる
白く息を吐き
大通りにはもうすでに車が溢れていて
通勤の人たちがちらほら歩いている
うっすら汗をかくわたしの体
坂を上り
レンタルショップ屋のポストにDVDを入れ
坂を下り
川に架かる橋
都電がカーブを描いて走り去ってゆく
ここは桜並木がきれいだから春になったら乗りにこようと考えながら
赤信号の交差点
ぼんやりと向こうの高いビル群を見上げていると
ふと
世界が揺れているような気がして思わず
ポケットのなかのナイフを握る
でも大丈夫みたい
青になった横断歩道を誰もが顔色変えずに歩いていく
揺れはおさまったのか
はじめから揺れてなんかいなかったのか
それとも揺れてないフリをしているだけなのか
よくわからないけれど
みんな普通の顔をしているから
わたしも何事もなかったかのように歩けばいい
(今までだってそうしてきたのだから
そうして帰って安全な場所にいればいいと
わかっているのだけれど
わたしは歩き出すことができない

 

 

 

 

 

 

 

 

アナキズム特集

アナキズム特集 ——ゲストたちの本紹介

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『アナキズム入門』で入門したあとは

こんな本を読むとタメになると思いますよ。

数あるアナキズム本のなかから

おすすめの4冊を激選!

 

 

  • 栗原康監修『日本のテロ 爆弾の時代 60s-70s』河出書房新社

バズーカ構えたセーラー服の女子高生の画像が重信房子の姿だと1万RTされる平成30年。この本は栗原康監修の仰々しいタイトルから期待されるような無茶な勢いではなく整理された版型でもって「まだ何も終わっていない」、「静かに熱く」と今の地点から諭し続ける。ここにはこの手の本にありがちなおっさんのノスタルジーも晦渋な文もない。だからこの本は東アジア反日武装戦線と竹中労と平岡正明とハイレッドセンターを併記し「世界を変える」とは何なのかを再考させる。何も知らない平成生まれのゆとりキッズがあの時代を手っ取り早く知るためのガイドブック。

(ねこ)

 

 

  • 栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』河出書房新社

「捨ててこそ」。鎌倉時代のお坊さん・一遍(いっぺん)の思想を一言で表すとこれだ。すべて捨ててしまえば、なんにも縛られないで自由になれる。なるほど正しい。ところが実際はそう上手くはいかない。武士だった一遍は、出家して流浪の旅に出た。だが、家族も出家してついてくるわ、弟子がいつの間にか増えて教団が立ち上がりそうになるわで結局また秩序ができてしまう。じゃあ、秩序なんかいらない、あらゆるものから解き放たれたいってときはどうすればいいのか? 一遍は踊った。踊って踊って踊って踊りまくった。ときに何日間もぶっ続けて踊った。苦しくても踊るうちに身体が勝手に動くようになる。今までの自分じゃないみたいだ。俺は、私は、まるで違う存在になれる。疲れとリズムと高揚感がぐちゃぐちゃになって、私たちは初めて人間であることを捨てられる。理屈だけじゃ自由になれない。ダンス・ダンス・ダンス。

(竹田)

 

 

  • 栗原康『現代暴力論「あばれる力」を取りもどす』角川新書

気になっている場所に行ってみたい。興味のある本を読んでみたい。好きな人と付き合いたい。こういう当たり前の欲求を当たり前のようにやることを、この本では「暴力」「あばれる」と呼んでいる。変だと思うかもしれない。だけどその当たり前ができないのが私たちが生きる現代だと、この本は繰り返し記(しる)す。だんだんと国の法律が、家庭や恋愛における不文律が、たいして根拠のない慣例や伝統が、私たちの「当たり前」をじゃましていることがわかってくる。暴れ方のヒントも書いている。ひとつはアナキストと呼ばれた先人たちの生き方。みんな苛烈でみんないい。真似はできないが、アガる。大事だ。もうひとつは暴動の起こし方。キーワードは「ゼロになって、共鳴しろ」。え? わかんない? 大丈夫、この本に書いてあるから。

(竹田)

 

 

 

  • 森元斎『具体性の哲学 ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』以文社

哲学者ホワイトヘッドの思想を実人生の時間軸に沿って辿りなおし、彼の探求をつねに「具体性」へと赴く歩みとして跡づける本格的モノグラフ。しかし本書の白眉は、ホワイトヘッド哲学の限界を「生成しつつある具体的なものそのものは語ることはできない」というアポリアをもって画したところから翻って、その「アナキズム的展開」を企てる最終部にこそあるだろう。そこでは「知恵」をキータームに彼の哲学が「具体的な生活に腰を据えて生きること」として敷衍されるのだが、とはいえそれは決して安易な「書を捨てよ」のアジテーションではなく、むしろパストゥールから大杉栄、鶴見俊輔まで参照テクストはいっそう豊かに増殖してゆく。その意味で本書は、言語の限界を見据えつつも哲学を――ひいては読むこと/書くこと全般を――具体的な生の経験に「言葉を与えていく」営みとして、なおも肯定するための試みとしても読みうるものである。

(……ところで私のもっているこの本の見返しには、刊行イベントの際にいただいた森さんのサインと「遊びをせんとや生まれけむ」とのメッセージが記されている。そういえばそうだった、と思う。生まれたときにはわかりきっていたはずことを、私たちはいつもたやすく忘れてしまうのだった)

(しだゆい)

 

 

アナキズム特集

アナキズム特集 ——アナキズム関連作品リスト

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アナキズムをさらに深く勉強したいという人から、

なんとなくアナキズムに関連する映画・漫画・小説が知りたいという人、

アナキズムってなんだかよくわかんないけど近づきたいなぁという人、

はたまたアナキズムとか別にどうでもいいし……という人まで、

あらゆる方々のためにぷらぷらメンバー+αが

アナキズム関連作品リストをつくりました。

あなたのアナキズムライフにどうぞご役立てあれ!

 

 

【アナキズムっぽい映画がみたいあなたに】

 

  • 三木聡(監督・脚本)『ダメジン』、2006年

佐藤隆太演じるリョウスケら三人組は、働きもせず毎日が夏休みのような生活を送りながら不思議と死なずに生きていた。ある日「インドに行けば一生働かずに済む」という知人の助言と「インドに行って地球を滅亡の危機から救え」という宇宙人のお告げを受けた彼らはそのための資金100万円の調達を企てる。そこにトルエン中毒の幼馴染、その恋人で出所したてのヤクザ、潰れかけの町工場の面々、バイク事故でサイボーグ化した地元の先輩など様々な人々の鬱屈が絡み合い……やがて決行される銀行強盗というクライマックスは、しかしどこまでも祝祭的で異様なほど瑞々しい。真夏の川崎を舞台に、常にすでにアナキズム的であらざるをえない生のかたちを乾いたナンセンスをもって描く寓意なき寓話。

(しだ)

 

 

  • マット・ロス監督『はじまりへの旅』、2016年 

厳格なナチュラリストの父は森の中で6人の子供に英才教育を施し、サバイバル生活によって資本主義と決別した暮らしを送っている。そんな一家がまぁ色々あって下界に降りるわけだが、さて、社会に触れた彼らはどうなってしまうのか?というお話。クリスマスを祝う代わりにチョムスキー生誕祭をおこない、コーラのことを“poison water”と呼び、食べ物を救おうとスーパーで万引きしたりとすげー笑えるのだが、あれ、でも、そもそも私たちだってなんでキリストを祝って、砂糖水がぼがぼ飲んで、余った食料を廃棄処分なんかしてるんだろう?とこの映画はふと立ち止まらせてくれる。ちなみに原題は“Captain Fantastic”。現実離れした風変わりな父親を指しているわけだが、“fantastic”という言葉の通り、素晴らしいものはいつだって空想でしかありえないのだろうか。

(深沢)

  

 

  • デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』、1969年

ニューオーリンズ目指して、ただそれだけでバイクを走らせる二人。なんてかっこいいおっさん達だ。初めて映画を見たときはそう思っていたけど、公開当時の主演二人の年齢は29歳と33歳と、案外若い。この頃も今も、自由はいつも綱渡りで、脆くて、孤独だ。けれどこの旅の中では彼らは決して一人ではなかったということが、いつまでもこの旅を夢心地にさせてくれる。一人では自由の中で笑い続けることはできないし、戦い続けることも難しい。だから彼らに生きていて欲しかったと同時に、自由のまま時を止めて死んでしまったことに、どこかでほっとしているのかもしれない。

(伊口)

 

【アナキズムっぽい漫画や小説を読みたいあなたに】

 

  • ダグラス・クープランド『ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち』黒丸尚訳、1995年

日本で言うところの「しらけ世代」に該当するアメリカの「X世代」の男女が、拝金主義・エリート主義から逃れて沙漠で共同生活をする話、ではあるのだが「ストレインジラブ生殖」(自分がもはや未来を信じられなくなったという事実を補うために子供を作ること)、「職業スラミング」(責任を回避するために自身の技能よりずっと低い職業に就くこと)など黒丸尚訳の注釈によって彩られた文章は独特の雰囲気を持つ。『リアリティ・バイツ』の原作でもあり本作なくして『ファイトクラブ』もなかった。91年に刊行されたがyoutubeもインスタグラムも射程に入った現代人と文明について考えるための一冊。

(ねこ)

 

 

  • いがらしみきお『かむろば村へ』新装版(上・下)、小学館、2015年

銀行員時代のトラウマからお金アレルギーとなり、過疎に悩む「かむろば村」に移住して一銭も使わず生きていくことを決意した高見武晴。とはいえ貨幣経済からの独立には当然、周囲からの施しが不可欠である。本作の特異性はそれを単に甘えと切り捨てず、高見が自立への志向と援助への依存を最後まで、矛盾を温存したまま両立させ続ける点にあろう。相互扶助的な共同体を理想化し賛美するのでも、また訳知り顔に現実の厳しさとやらを説くのでもなく、身勝手も献身も「ただ生きていく」こと――これほどシンプルにアナーキーなスローガンがあるだろうか?――のなかに自ずと織り込まれたものとして等しく肯定する。そのあくまで平熱の眼差しが快くもおそろしい、紛れもない怪作である。

(しだ)

 

 

  • ミシェル・ウェルベック『服従』佐藤優訳、河出書房新社、2015年

2022年、フランスにイスラーム政権が誕生する過程を一人の男の目線から綴った物語。変わっていく政治や体制という大きなうねりと、それについて行動を起こす人、傍観する人、立場を変える人たちが起こす様々な波に揺られ、船酔いしたような気分になる。「人間の絶対的な幸福が服従にある」という観念に、非イスラームの主人公が緩やかに侵食されていくのは、彼があまりにも無力で孤独だからだろうか。私たちは、例え困難な人生が待つとしても、身体的苦悩から逃れられないとしても、服従することに抗い続け、服従されることを拒絶することできるだろうか。胸の中にいつまでも澱が残る。

(伊口)

 

 

【アナキズムっぽく思考したいあなたに】

 

  • 千葉雅也『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、河出書房新社、2013年
                    

今までジル・ドゥルーズの哲学における盲点である「切断的」な側面を引っ張り出すベストセラー。読むのに一苦労する本かも知れないが、そこから得られるものは多い。作品の伝いたいことを手短に説明すればそれはつまりタイトル通り、「動きすぎてはいけない」ということ。自身の行動の限界(「切断」)を認めるのは決して悪いことではない。今の社会構造は過剰な「動き」を強制する面があまりにも強く、局部で有限的な「動き」を肯定する社会構造を作るということは「アナキズム」に繋ぐ、この作品が提供した大事なヒントである。

(チョウさん)

 

 

  • ガブリエル・クーン『海賊旗を掲げて:黄金期海賊の歴史と遺産』菰田真介訳、夜光社、2013年



論文的な形式で書かれた研究書だが、読みやすい。作者は「黄金期海賊」の海賊行為をアナキズムと照らし合わせ、多方面から両者の同異を分析した。「海賊」というシンボルに対する幻想を暴きながら、海賊史の中にある政治面において活用でき部分を抽出する。全部とは言えないが、「黄金期海賊」の価値判断の中に、平等と自由を基準とする部分が想像以上に多かった。最後に気になる部分は著作権海賊の政治的意識の所で、もし海賊版の真の目的は資本を持続可能なものへの投資を促すことなら、持続可能なものを生産することとはどういうことなのかを考えなければいけない気がした。

(チョウさん)

 

 

  • 笠井 潔『国家民営化論―「完全自由社会」をめざすアナルコ・キャピタリズム (カッパ・サイエンス) 』、光文社、1995年


かつて新左翼の理論家だった著者は、連合赤軍事件を機に転向しマルクス主義の全面的廃棄を経て、“ラディカルな自由主義”を標榜する。ゆえに本書は、夜警国家や最小国家と呼ばれる「小さな政府」がなお維持する警察機構による治安活動をはじめ、国防に係わる軍事活動や司法の介入と調停さえも民営化せよと主張する。主張それ自体は資本主義の徹底の果てに国家を自壊に導く無政府資本主義の戦略だが、本書がとりわけユニークなのは復讐権、つまり被害者から犯人への決闘請求権に関する議論だ。死刑という超越的倫理を棄却し、報復感情に適った水平的批判の権利としてのいわば仇討ち。その突飛の無さこそ笠井の魅力であり、また経済自由化の裏側で権威主義的国家再編が世界的に進行する現在にこそ読まれるべき一冊。

(中里)

 

 

【アナキズムっぽくルポりたいあなたに】

 

  • 磯部涼『ルポ 川崎』サイゾー、2017年

本書では川崎という街で貧困や差別をはじめとしたこの国の抱える問題と隣り合わせに生きる人々の姿が活写される。もちろん一括りにできないとはいえ、第四章に登場するC.R.A.C. KAWASAKIメンバーによる言葉を引くまでもなく、中心的に扱われるBAD HOPが「Chain Gang」で歌うように川崎の人々はある種の“地獄”のなかで相互扶助的に生を繋ぎ留めている。そして著者である磯部涼もまた住人たちと同じように移動し交流することによってこの貴重な一冊を生み出したのだということを忘れてはならない。

(杉本)

 

 

  • 仙頭正数『『裏モノJAPAN』編集部セントウの「クレイジーナンパ大作戦20」』鉄人社、2016

「ナンパできるようになりたきゃどうすりゃいい?戦争で死ぬんだったらなんでもできそーじゃん?」

岡村靖幸の歌詞を地で行くような焦燥感でもって仙頭正数は「おもしろきこともなき世をおもしろく」するためにナンパを続ける。偽占い師になり街頭に立ち、自分としかマッチしない出会い系サイトを作り、金が有り余っていることを記した日記をあえて落とし、ラブレター風船を百個空に放つ。敵は迷惑防止条例。「革命ばかりを夢見るけれども何もできない」ならナンパでもすれば?ダンスもロマンスもないけれど、本当のチャンスがここにある気がする。

(ねこ)

 

 

【ゆる〜くアナキズムに近づきたいあなたに】

 

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』鈴木徹郎訳、講談社、1990年


互いを束縛せず自由であること。ムーミン一家が「いたって自然なかたちでしあわせ」(by冨原眞弓『ムーミン谷のひみつ』)であることの基盤には、この自由がある。放浪癖を持つムーミンパパがふらりと家出しても、誰も干渉しない。禁止の立札や公権力を嫌い、自由を好む旅人スナフキンも「ムーミンたちといっしょのときは、自分ひとりになれる」。本作はそんな空気に惹かれてムーミン屋敷を訪れる者たちのお話。しかし、ムーミン一家は不在だった。訪問客たちは一家の生活をなぞるように一緒に暮らし始めるものの、うまくいかない。めいめいが自立していてうまくいく、理想的なムーミンたちの生き方は「お話」の中だけのことなのか。ちょっとオトナめの、シリーズ最終巻。

(長谷川)

 

 

  • エーリッヒ・ショイルマン『パパラギ』、SB文庫、2009年

これは南海の島で生まれ育ったとある酋長がヨーロッパの国々をまわった際に、彼の目で白人の文明社会を見つめた記録である。いまや私たちの価値観に染みついている文明礼賛、資本主義、人間中心主義を、彼は単なる批判ではなく、生き物としての純粋な疑問や愛する島の仲間への警鐘として書き記す。特に印象的なのは『考えるという重い病気』という章だ。私たちは考えるのが大好きである。現代人の多くがすっかり精神や思想の虜であることを彼は見抜き、本当の賢さを一本の椰子の木から説明する。日頃前提としていた文脈が崩れ、積み上げた知識が砂のようにこぼれていく喪失感と心地よさを、読む度に感じることができる。

(伊口)

 

 

【ぶっちゃけアナキズムはどうでもいいが『ONE PIECE』は好きだというあなたに】

 

  • 尾田栄一郎『ONE PIECE』、集英社、1997年〜

『アナキズム入門』冒頭、「アナーキーとは『支配がない』という意味だ」という一文を読んで「え、つまりルフィのこと?」と思った人も少なくないのではないだろうか。

 

 (52巻 第507話)

 

海賊王を目指す海賊たちの多くは王という座に富や権力や名声をみる一方、ルフィにとっての王とは何よりもまず、自由であることだ。そんなルフィは他者と関係を築くときに見返りを求めたりしない(そのため彼は「同盟」というものを理解できない)。彼の行動パターンは「交換」ではなく、基本的に気まぐれという名の「贈与」だ。味方でも敵でも好きでも嫌いでもとりあえず誰かが死にそうになっていたら勝手に助ける。だからこそ彼に感化された者たちは、ルフィのことを勝手に支え、勝手に子分になろうとし、勝手に妻(仮)となって尽くすのだ。これぞ真の相互扶助!

 

この漫画では海賊という形を借りてさまざまな共同体の在り方が描かれているわけだが、他の海賊たちが自らを「〇〇海賊団」と名乗るなか、ルフィたちは自分たち仲間をまとめるような名前を持たず、あくまで外側から「麦わらの一味」と呼ばれているだけである。名前からすらも自由なルフィの考える絆とは、「囲い」となって縛りや排他性を生み出すサークル状のもの(たとえば「家族」=白ひげ海賊団、ビッグ・マム海賊団etc.)ではなく、いってみれば点と点とを横で結ぶ線状のもの(つまり「友達」=コビー、ボンちゃんetc.)であり、彼と一瞬でも関わった人々であれば誰でも結び得るようなゆるやかな絆なのだ。(なのでルフィは絶対に「結婚」しない。どんまいハンコック)。

 

大きな円で世界をすべて覆うことは不可能でも、無数に散らばったそれぞれの点と点を線で結んでつながることは可能である。『ONE PIECE』で描かれてきたのはルフィというたった一片(=one piece)から枝分かれして無数に伸びていった多種多様なエピソードの堆積であり、各地に住むあらゆる登場人物たちがルフィを通じて「ひとつなぎ」になっていく過程なのだ(それはあたかも世界中に散らばった歴史の本文:ポーネグリフをつないでひとつにしようとするニコ・ロビンの行為と相似を成しているかのようだ)。そうして「ひとくくり」ではなく「ひとつなぎ」になっていくルフィたちが、ゆくゆくは海賊王となり、「ONE PIECE(ひとつなぎの秘宝)」を手に入れ、人々を隔てるグランド・ラインという壁はなくなり、すべての海が混ざったオールブルーが実現し、あらゆる種族間差別がなくなり、奴隷は解放され、支配のない完全に自由な世界を作っていくのだ!……という読みで合ってますか、尾田さん?

 

ともあれ、そんな作品がこれほど売れてるってことは、実はみんなアナキスト志望なんじゃね?

(深沢)

 

 

 

 

 

執筆者一覧

 

・杉本航平

雑誌編集を経てフリーになるべく模索中。文学と音楽とコーヒーと煙草が好きです。

 

・中里昌平

大学院生。論考に「アートツーリズムとコンテンツツーリズム」(『地域デザイン』第11号、2018年)など。

 

・長谷川美緒

大学院で創作を勉強中。詩と小説を主に書きます。絵も描きます。

 

・チョウさん

日本で一浪を経てようやく大学院に進学したチョウです。文学と哲学両方とも駆け出しなのに、日本文学と西洋哲学の間の接点を探すという思い上がるにもほどのある目標をもち、猛勉強しております。副業として、ゲームのシナリオを書いています。スタンドアップコメディが今のマイブームです。

 

*いつものぷらぷらメンバーの紹介はプロフィールページをみてね!*

・深沢レナ

・伊口すみえ

・竹田純

近刊の担当書に『子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。』(http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b356681.html)、5月末に『日本のヤバい女の子』(http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b356682.html)があるよ。みてね!

・しだゆい

・ねこ石(New!

 

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へその緒の国と非人間について

 

深沢レナ

 

 

あなたがご存知ないかもしれないということを考慮して説明しておきますと、わたしたちの国ではへその緒が何よりも重視されています。自分の両親とはいつまでもへその緒で結ばれていますし、結婚している場合は配偶者と子供と結ばれています。そうして栄養を供給しあって、互いに助け合って生きる。へその緒が人々のセーフティーネットとなっているわけです。あなた方は生まれるとすぐにへその緒を取ってしまうとのことですが、それでも社会がなりたっているというのは不思議なことですね。

わたしたちの国では、まず、あるカップルが結婚することとなると、結婚式で国に二つ目のへそをあけてもらいます。一つ目のへそはもちろん自分の両親とへその緒でつながっているへそです。人は結婚するとそれとは別に、全く新しいへそを作ることになります。そして国に新品のへその緒を授与され、新郎新婦は新たにへその緒で結ばれることになります。それからスタンダードなコースでは彼らは工場に行って子供を購入します。工場ではわたしたちによって生産されたさまざまな子供たちがベルトコンベヤーの上で回っており、夫婦は順番に回ってきた子供を受け取り、自分たちの新しくできたばかりのへそと子供とのへそとを、夫婦のへその緒で結びます。こうしてへその緒で結ばれた新郎新婦と子供を「家族」と呼ぶのです。

世の中にはたくさんの家族がいて、家族の一員それぞれがへその緒の伸びる限り好き勝手に歩き回るので、ときどきよその家のへその緒とからまってしまうというトラブルが生じます。そのために信号があるのですが、これだけの人々がいるのですから信号だけでどうにかなるものではありません。人と人とがすれ違えばほぼ必ずや、互いの家族のへその緒がからまってしまいます。そういうときは整備士さんがいち早く駆けつけて、からまったへその緒をほどいてくれます。整備士さんはいつの時代でも子供達にとってあこがれの存在です。困っている人を助ける職業が一番人気というのはあなた方の国でもきっと同じでしょう?

むすぶ、つながり、といったものが何よりも重要視されているので、この国では「切る」という行為は縁起が悪いとされています。昨今では人々のへその緒を無差別に切るへそテロリストによる事件が増えてきていますが、それもこの国ならではの犯罪なのでしょう。人々は一度へその緒で結ばれたらよほどのことがなければそれを切ってはなりません。……ということに表向きはなっておりますが、実際にはへその緒切りはしょっちゅうとは言わないまでも普通に行われており、きちんと手術代を支払いさえすれば大概において黙認されています。夫婦の間で切るものもいますが、一度結婚するとへその跡がなかなか消えず再婚するのが難しくなってしまうのであまり多くはありません。一番多いのは、やはり、子供とへその緒を切るパターンです。工場から連れてきた子供が問題児だったり気が合わなかったりその容姿に飽きてしまったりすると、夫婦は子供とのへその緒を切ってまた違う子供とへそを結びます。遺棄された子供は解体工場に運ばれ、まだ使えるパーツだけを取り出し、古くなったパーツは再利用し新しい子供に作り変えます。そのような解体作業や工場での仕事はしばしば切ることを伴うため、安全上の観点からもわたしたち非人間に任せられています。

非人間についても一応お話ししておきましょうか。工場で作られたけれども引き取り手がないまま育っていった子供たちや、さきほど申し上げたように両親に遺棄された子供が解体するにはもう成長しすぎている場合は、そのまま誰ともへその緒で結ばれることなく、工場からの栄養補給だけで育ち、非人間化の道を歩むこととなります。ええ、両親は子供とへその緒をいつでも切ることができますが、子供からは両親とのへその緒を切ることはできません。不公平でしょうか? しかしつながりとはそういうものなのです。もちろん、非人間として育ったとしても、大きくなってから誰かと結婚し、へそをあけて新たなへその緒を結ぶことで人間化することも可能です。

人間化しないのかって? そうですね。いまのところ、人間化の道は考えておりません。いいえ、さみしくないわけではないです。わたしは誰ともへその緒でつながっていないし、わたしという存在が生きていることすら誰も気に留めていないかもしれません。正直なところ、将来の不安がないわけではないし、経済的にも誰のへその緒にも頼れないので贅沢する余裕はありません。ときには両親にへその緒をハサミで切られてしまったときのことを夢に見て、夜中、汗だくになって目をさますこともあります。

けれども、わたしたち非人間は、なんといっても自由です。それはあらゆる不安を背負うことになっても、なお、十分に持つ価値のあるものです。交差点で人々のへその緒が絡み合い、整備士さんに誘導されている間に、人々の脇を、すっと通り抜けていくときのあの軽さ。工場での仕事が終わったあとに、誰にも知られることなく、裏の丘の上で沈んでゆく夕日と二人だけでする密やかな対話。そういったものが、わたしは好きなのです。それに、なんといってもわたしは、この工場での仕事が気に入っています。ありとあらゆる肌の色、眼の色、髪の色の子供たちが入り混じってベルトコンベヤーの上を流れていく光景、それをみていると、わたしはへその緒で誰ともつながっていないはずなのに、工場の子供たちが、みな、自分の家族であるような気がしてくるのです。

 

 

アナキズム特集

アナキズム勉強会Ⅳ —— わたしたちにできる革命とは?〜革命後の世界を生きること〜

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Ⅳ わたしたちにできる革命とは?〜革命後の世界を生きること〜

 

特別ゲストの栗原康さん、五井健太郎さん。おねむ?

 

——どうもありがとうございます。質疑応答に入っていきたいのですが、まず一つ目。

この本を読み終わったときなどもそうですが、こうやってアナキズムの歴史を見ていって共感して「革命だあ!」と熱くなりながら、終わってふと目を上げたときに、社会のなかに彼らの思想がいまでもわりと普通に流れていることを感じると同時に、「でもこれ過去の話だしな」と思って「現実」に戻っておとなしくなってしまうのですが、資本主義社会を生きる上でどうやってわたしたちが現実と折り合いをつけながらアナキズムを実践できると思いますか? 具体策などあるでしょうか。

 

 都市というか東京であればホームレスになるとかね。もちろんホームレスに「させられてしまった」という現状もあると思うんだけど、ただその一方で、「ホームレスになる」という自由もあると思っていて、いろんなことぶっちぎってなるべく0円に近い仕方で生きていく、っていうことを選択する自由もあるだろうし、そんなかの知恵というのもたくさんあるだろうしね。そこまでいくと竪川だったり代々木公園だったりだとかいろんな戦い方もあるし、そこら辺はもっと重層的な話ではある気がします。

ホームレスにならなくても、何かしらコミュニティなるものによって助けられるということはあるのではないかな、という気がします。田舎での実践なら、畑とか簡単に借りれて生きていけるようなところに行くとか。それだけじゃないけれど、今それを自分でやってみて自分なりにみなさんに示せればな、と思います。

 

——森さんの今の福岡の生活は、楽しそうと思う反面、村社会ってめんどくさそうだな、とも感じます。田舎特有の共同体のしがらみのようなものはないですか?

 

 東京で一人暮らしするよりはあります。田舎なので他より多いというのはあって、たとえば神社に清掃しにいかなきゃいけない、とかね。でもそれはさぼれるし、あと、そういうのをやっていったほうが自分たちの生きていく環境も多少整備されるというのもある。交換条件ってわけじゃないけど畑で作ったものを貰えるとかもあるし。でも、それは自分の苦じゃない範囲でやっています。苦になる人もいると思う。

ただ僕はこの程度なんじゃないかと思うんだけど、今日、この勉強会、誘われたから無理矢理きたみたいな人もいるんじゃない?(笑)。でも田舎の飲み会とかもそのくらいなんですよね。そこで土着的な思いを背負ってしまう人もいるんだけど、そこまでしなくていいんじゃないかな、っていう気が僕はします。結構無視できるんじゃないかな。ま、それは人とか場所によるけれど。

 

僕の場合は、何もない状態でフランスから日本に帰ってきてビビってたんですけど、「なんか仕事くださいよ」ってたまに嫌々ゴマすって、それで仕事もらったり、意外と誰か助けてくれる。「誰も助けてくれない」って言って東京に帰った人もいるので一概には言えないですけれど、案外なんとでもなるというか、結構自分の中でもなんとでもなってきたというか。もちろん日本学生支援機構から800万の借金はありますけれども、別にね。大学院にも行っちゃったし、奨学金もあるし、バイトもあるし、フランス行ったときも人に頼って、ビラ貼るバイトして、福岡行っても、子供が産まれるのわかってるけど「無職である…死ぬ…!」って思う必要はないというか、行けばどうにかなるというか。

だから最近の我々貧しい若い人たちは、友達を増やしていったりしていくのが生きて行く術なのではないのかしらと思います。

 

 

——先ほどの革命の話にまた戻るのですが、やはり、私たちの生活の中に現にあるアナキズムやコミュニズムを自覚し実践していくことと、革命を志向してゆくことの間に私もどうしても隔たりを感じてしまうのですが、その両者の関係をどう折り合わせていけばいいでしょう?

 

 

 あの僕の本だと不用意に書いてしまったんですけれど、いろんなひとの革命観があるだろうし、マルクスやエンゲルスもあるし、ブランキだってあって、ルクリュにだってある。でも、革命に関してはルクリュがおもしろくて、つまり「オルタナティブとは違うんだ」というところ。オルタナティブとは何かといえば、例えば、普通の近代的な枠組みというのが正規の社員で暮らしていくことだとすれば、オルタナティブなものはバンドマンとか多いと思うんだけど、好きなことをやるためにちょっとバイトして生きていくということ。それがオルタナティブ。で、別にそれを否定するつもりはないんだけど、「革命的」というのはそこからもうちょっと、というか、全部ずらしちゃって、「もう好きなことだけやっちゃってみたら?」ということですね。で、そのときに飯食える可能性だってあるだろうし。好きなことだけやりながらやっていく。

 

山下陽光っていう友人がうまいことをいっていて、『バイトやめる学校』(タバブックス)という本で書いているんだけど、「好きなことに近いことをしながら生きていった方がいいんじゃないの」って言い方をしていて、これって要するに、近代的な枠組み・正規の枠組みなるものに対する相対的なもの、じゃなくて、そこからガラっと変えて生きて行くということなんだよね。例えば、僕って結構革命的に生きていると思うんです。一回も就職活動したことないし、バイトもある時期からしてない。案外そういうふうにバーッと出ていくことで生きていけるようなところはある気がします。そこでなんかズブズブで最低な生をたどってしまうようなこともありうるかもしれないけれど、まあ、案外なんとかなるんじゃないの、という楽天的なところはあるかもしれないです。それが革命観。

あと、ルクリュについて言うと、松本哉さんとかが上手いことを言っていて、「革命後の世界を生きる」でしたっけ? 革命が起こった後のあり方というのを自分たちで先に実践していく、と。自分たちのやっているのは革命後の世界なんだ、と。それは上手いなと思ったし、それってもともと学術的に言えば、プレフィギュラティブポリティクス(Prefigurative Politics)という概念で、これはグレーバーさんが言っていることで予示的政治とかって訳されるんですけれど、あらかじめ革命が起こった体で、革命が起こった後こういうふうにやっていったらいいんじゃない?というのを自分で示して行くということをやっていく、と。ルクリュは結構そういうことをいっていて、革命とは自分で自らをもそれが革命だとして生きて行くことが革命なんだ、という。今、革命は起こってないかもしれないけれど、これは革命後の世界なんだよ、ということを示していく。「自分が革命そのものなんだ!」「俺が革命だ!」くらいでいいんじゃないか、と。どうせ革命起きても嫌なこといっぱい起こると思うから、「いや、その革命だって俺の革命じゃねえ!」くらいの勢いでやってったほうがいいんじゃないかな、という気がします。「理念と現実なるものを実現したのは俺だ!私だ!」と言っていかないと革命そのものにはなっていかないでしょ。

 

僕は僕なりに革命後の世界を生きているつもりです。もちろん現金収入は大学から奪っているし、お金があるのに越したことはないですよ。でもなくても生きていけるでしょ?みたいなことをやっていきたいし、せっかくアナキズムとか言ってるんだから、そりゃそういう風にやってったほうがみんな元気が出るでしょ。それでみんな、「金がなくなったらどうしよう」みたいな気持ちになるかもしれないけれど、「福岡いけば金がなくても生きていける人がいたよね?」みたいなことを思い出してくれるだけで僕はいいというか。それを意識してやっているわけじゃないけど、なんか、あれじゃん。人を元気にしていった方がいいじゃん。

 

 

——なるほど。革命っていうのを集団的な一つの出来事みたいな歴史上のどこかの出来事として考えていたので、その日常の実践というのと隔たりが出てきたんだと思うんですけど、現にあるコミュニティみたいなものがもうすでに革命後の世界なんだと言われると元気になりますね。

 

 

 あ、あと、革命っていつ起きるかわかんないんですよ。暴動とか特にそうなんですけど、たとえば僕が初めて暴動なるものを経験したのは2008年で、釜ヶ崎のいわゆる「釜ヶ崎暴動」なんですけど、あれって突然起こったわけです。あれは交通事故で亡くなったホームレスの方がいて、その方に対する調査を警察がまともにしなかった。名前もあるし、知り合いもいるのに、警察は「死んだね」ってそのままほっといたんです。「ふざけんな」と思うよね。で、ホームレスの友人たちがそれに対して怒ってたら、警察が「お前らふざけんなよ」とやり返してきた。それを「暴動」と名指されたわけですね。突然起こるんです。革命もそうなんです。「パンよこせデモ」だってそう。

 

革命っていうのは突然起こるし、準備して起こるものではない。ただ、準備が仮にあるとすれば、革命後の世界というものを生きている人たちが、そのあとの世界というのを準備しうる可能性はある。たとえば、これは僕の見立てですけれど、東京の出版なんか絶対なくなると思うんです(笑)。50年後とか今みたいに出版社があるとは思わないけれど、そのときに、みんながある種の別様の知恵、別様に生きて行くための知恵があるよ、というのを友達が困った時には示せるというのは自分なりにあります。

 

——今日ここに集まった方々はみんな文章に携わる仕事や勉強をしているわけですが、そんな数十年後には絶滅危惧種(笑)となっているだろう、文章に携わる存在同士として、「書くこと」についてなにか共有できる考えなどがあれば最後にお願いします。

 

 文章って書くと、不思議な事なんですけれど、誰かしら読んでくれる人がいるという実感がこの間10年あって、例えば『現代思想』とかに難しいわけわかんないこと書いても、勉強会に呼んでいただいたり、それこそデリダの言う「誤配」じゃないですけど、どこになにが届くかわからないというか、文章の面白さというのを最近身をもって感じるようになってきて、運にもよるかもしれないけれど、どこかに届く可能性というのがある。その意味で僕は活字の可能性というのを捨てられなくて、運動をやっている人からすると「文章でいくら書いたって無駄じゃん」って言われるんですけれども、無駄です。無駄なんですけど、でも、活字だからこそ届く領域っていうのがある。

 

活字というのは「確実にどこかに届き得る」というのが面白くて、僕は活動界隈の友達というのはたくさんいるんだけれど、僕自身は大した運動をしていなくて(ボクシングとか山登りはするんですけれど)、それ自体に重きを置く・置かないというのは人にもよるだろうけれど、僕にとっての運動の現場というのは、やっぱり、書く事にあるのかなと思う。『アナキズム入門』みたいな本を書いて、こうやって知らない人から連絡いただいて、こうやってしゃべる機会を与えてもらって、そこに関しては、やっぱ活字ってすごいな、やっぱ活字ってやりがいはあるな、って思うんです。

 

 

——どうもありがとうございました。長時間講義お疲れ様でした。

 

 

 

(構成 深沢レナ)

アナキズム特集

Ⅱ 『アナキズム入門』勉強会①〜都市、科学、相互扶助をめぐって〜(プルードン、バクーニン、クロポトキン)

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 『アナキズム入門』勉強会① ―プルードン、バクーニン、クロポトキンー

 森さんの畑でとれたパクチーを食べながら。

 

——そんな『アナキズム入門』の内容にそろそろ入っていこうと思うのですが、そもそもこの本を書こうと思い立った動機は何だったんですか?

 

 この本はなんで書いたのかというと「ないよりはあったほうがいいから」というのがその理由です。あとは、この当時年収が40万から60万を行き来していたので、生活費を稼ぐためというのがあります。もう一つは最初の理由と関連するんですけれど、ヨーロッパのアナキズム入門書というのがある時期からなかなか手に入らなかったという事情があって。70〜90年代までは古本などで手に入っていたのだけどだんだんなくなってきた。これは由々しき事である、ということで書きました。あと、アナキズムのある種の重要性を生活の中でひしひしと感じたからということで、「アナキズムなるものはいかなるものなのか?」「はじまりのアナキストたちはなにをしていたのか?」ということを、僕自身のきっかけでもあるし共有できたほうがいいなということで書いていったというのが最初のそもそもの動機ですね。

 

——この中では5人のアナキストを扱われてますね。

 

 プルードンとバクーニンと、えー、あと誰だっけ? もう忘れちゃった(笑)。あ、クロポトキンと、ルクリュと、マフノについて。五人の思想家というか活動家について書きましたね。この五人を選んだのはすごく恣意的ではあります。恣意的ではあるんですけれども、ある程度有名どころを押さえたところで、アナキズムなるものを展開した人たちというのを紹介するのは重要ではないかという見立てのもとで書いたというのがあります。

で、今、正直言っちゃうと、ルクリュとマフノ以外は全然好きじゃないです(笑)。

 

——ぶっちゃけ(笑)。

 

 プルードンもバクーニンもクロポトキンも全然好きじゃないです。なんか、まぁ、おもしろいこと言ってるし、お勉強っぽいこといってるから書いてったらいいんじゃないかと思って書きました。

 

 

  • プルードン

——ではまずは、そんなにお好きでないプルードンについてですが。

 

 プルードンで有名なのは「所有、それは盗奪だ!」という言葉ですね。所有(仏: propriété 英:property)についての考え方を盗みであると考えている。それには前提というのがあって、当時貴族だとか金持ちがいたわけですよ。金持ちというのは「持つもの」、我々民衆は基本的には「持たざるもの」。持ってる奴らというのは我々から税金からなんなりを吸い上げて持っているだけでしょ、ということで、所有している奴らは我々から盗んだものでなりたっているんだ、というふうな前提があります。

 

ただプルードンもバカではないので、所有に関してはいくつか仕分けをしています。まずは私的所有ですね、それから公的所有、それから個人的保有。この個人的保有は他と違って、プルードンは保有=ポゼッションという概念を言うんですね。で、所詮我々が持ってるって言ったって、そんなもの国家のレベルの財産と比べたらたいしたことないんで、保有というものを認めた上で社会というものを作っていこうね、と。だから国家だとか貴族にとらわれない社会のあり方はないのかということで「所有、それは盗奪だ!」ということを言っていて、そういう社会をどうやって作っていくのかということで経済的・政治的な側面から議論を展開していったというのがプルードンです。

 

あとプルードンの概念で面白いのはアンチノミーというのがあって(僕は全然好きじゃないんですけど)、要するに「勧善懲悪の世界なんてないでしょ」と。矛盾をかかえたままより良い方へちょっとずつちょっとずつ前進していくというのがこの社会のあり方だ、というのがアンチノミーという考え方です。これは『貧困の哲学』という本の中でメインの話になっていますね。僕もこの本の中で書いたと思うんですが、忘れたので次いきましょう(笑)。

 

 

  • バクーニン

——二人目は奇人バクーニンですね。

 

 間抜けなのか天才なのか、ドゥルーズでいったら「概念的人物」じゃないですけれども、人間として面白いんです。面白話が多すぎる人物で、手紙に解読書と暗号表をいっしょにいれて出しちゃうとか、

亡命してスイスに入るときも、彼はピューリタンの格好をして入ったんですけど、そもそもスイスにピューリタンいないですからね(笑)。しかも彼デカイし。彼は間抜けというか愛すべき人物像というか、いろんな逸話があります。突出して変な人だった。

 

でも、バクーニンというのは人物的に際立っているがゆえにアナキズムの歴史の中で描かれているんですが、実際には一部を担っているだけで、たとえば松山大学の渡辺孝次さんという先生が『時計職人とマルクス』(同文舘出版)というすごく良い本を書いていて、この本ではスイスのジュラという地域の、ジュラ連合という労働組合の人たちの運動についてずっと書かれていて、その中の一部分としてバクーニンがいるだけで、本当はギョームとかルクリュとかもいるんです。

 

 

バクーニンを前面に出してマルクスを敵にして「バクーニン対マルクス」とするのは、まあ、わかりやすいんですよ。一応僕の本は「入門」なので、そういう仕方で腑分けをしていって書いたというのはあります。

けど渡辺さんのこの本に関して言うと、やっぱり「バクーニン対マルクス」ではなく、「ジュラ連合対マルクス」という観点してまとめている本でわかりやすいです。地域の連合とマルクスの独りよがりという点から見ると、マルクスが自分の権力欲のためにやっていたんだということが、もう少し僕の本よりわかりやすく書かれている感じはします。

 

——バクーニンの章ではマルクスが悪役として扱われていますね。この章に限らず本書全体を通じて、アナキストたちの「VSマルクス史」としても読めるかと思うのですが、森さん自身はマルクスをどう捉えてらっしゃるんですか?

 

 ←悪役マルクス

 

 基本的には「バクーニン対マルクス」みたいにまとめていったほうがアナキズムそのものがわかりやすいかな、というのでまとめたところはあります。でもマルクスに関しても、細かくみたら必ずしもそうではない部分もある。まあ、性格は悪いんですけれどね。マルクスってうちの子供みたいで、「(自分を)見て!見て!」みたいなところはあるんです。ただ、マルクスのなかにももちろんアナキズム的なものはあるし、レーニンもそうなんですけれど、必ずしもざくっと切れるわけではない。ただ入門なので、そのように切り分けていったという部分はあります。

 

マルクスも厳密に言うと国家主義だけに囚われない部分もあるんですが、この本の中では国家集権主義・中央集権主義という立場と、バクーニンの連合主義・集産主義(コレクティビズム)という反国家でいろんな地域とか職業の連合体によって世界を作っていこうとする考え方とが対立していて、当時はバクーニン的なもののほうがイケイケだったんですよね。

 

——ジュラ連合がまさにそうだと思いますが、この本の中で何度も出ているスイスという地理の特殊性も気になりました。スイスだからこそという何かがあるんでしょうか?

 

 スイスという国にはいろんな地域があって、その地域の思惑とかもある中で、ドイツに攻められないようにするにはどうするかと同盟を組んだりしてドイツを追い出していった経緯がある。地域ごとに言語も違うんです。同じドイツ語でもフランス語でもいろんな方言がある。それから地域ごとに職能もある。牧畜だったり、羊育てたり、林業だったり、ジュラで言えば時計職人とか。そういう職業ごとに強い地域というのがあって、それごとに独立していて、それらが合体したときに一応スイスっていう名前はとったんだけど、でもそれぞれのカントン(州・準州)ごとに憲法があるんですね。いまだに地方分権主義というのが強い。中央集権主義的な国家なるものとは別のあり方というのを常にすでに実践していたのがスイスだったわけです。

 

そういったところからバクーニンとかジュラ連合の人たちはやってきたというのがあって、マルクスは彼らを敵に回したときに中央集権主義を出したんです。するとやっぱバクーニンやジュラ連合的なものとは相対化される。ジュラ連合的な人たちがアナキズム的なものとしてみれる。

 

ジュラ連合の職人たちというのは、自分たちのつくる時計とかつくるものに国家が勝手に関税をかけることに「ふざけんな」と言ってたわけです。自分たちのつくるものの質というのは保った上で貿易の商売していきたいから、関税なんて余計な御世話だとずっとはねのけてきた経緯があって、これはほんと数百年彼らが培ってきたものです。その地域の特殊性というのはあるかもしれないし、ある種アナキズムなるものがヨーロッパで生まれたというのはある気がします。

 

その一方で、アナキズムというのは中世・近代とかヨーロッパ云々とかいったことと関係なく、実はもっと昔からあったんじゃないの?というのが、グレーバーさんとかの見立てでもあるんですけれども、個人的にはそういったところを探りたいと思っています。

 

 ←デヴィッド・グレーバーさん

 

 

  • クロポトキン

 

——三人目は聖人クロポトキンですね。

 

 クロポトキンは非常にお上品な感じで、文章も美しいし読みやすい。読みやすいからというのもあるんですけれど、日本にアナキズム・無政府主義というのが入ってきたときのもともとにあるのがクロポトキンであるというのは、まあ、そうでしょうね。金子文子だろうが、大杉栄だろうが、辻潤だろうが「みんな読んだ?」「まだ読んでないの?」みたいな感じの空気はあったんでしょう。嫌な感じですね(笑)。僕、その当時いたらアナキストになってないかもしれない。

 

——クロポトキンが他のアナキストたちと違っているのはどういうところなのでしょうか?

 

 僕はクロポトキンにはバクーニンとは違う仕方でいいなと思うところがあって、バクーニンは結構コレクティビズム(集産主義:collectivism)ということをいっていて、一方クロポトキンはコミュニズム(共産主義:communism)ということをいっている。この違いは何かというかというと、バクーニンは、「仕事上はみんな一緒に運動しますよ、ただ日常生活においてはもう関係ありませんよ」ということ。一方、クロポトキンというのは、「仕事だろうが日常生活だろうが、コミュニスティックに生きていったほうがいいでしょ」と。つまり生そのものがコミュニズムとして生きていったほうがいいじゃん、ということを言っていたんですね。

 

実際に、これは人物像的な差異もあるんですけれど、バクーニンとかは実人生上では全然共産主義的な人ではなくて、「相続税反対!」とか言ってるくせに人の遺産食いつぶして飯食ってたし(笑)、「みんな仕事はコミュニスティックにやるべきだ」といってたのに彼自身はほとんど仕事していないし、ま、口だけの人だったんですね。理念先行というか。それが必ずしも悪いとは言わないですが。

 

一方でクロポトキンは、「実生活でもやってみたほうがもっと面白いんじゃないの? なぜならば、ジュラ連合の人たちがそれやってるからね」という立場だった。だから、ジュラ連合の影響をもっと受けていたのはクロポトキンだったりルクリュであった。そうした中でクロポトキンはもともと地理学とか生物学、物理学にも造詣が深かったので、相互扶助(mutual aid)という概念を出した。この相互扶助というのも実はダーウィンが言っていた概念なんですけれども、その概念を使ってクロポトキンなりに歴史を紐解き「みんなこうやって生きていたんでしょ」ということを言った。

 

——本書の中にも書かれていましたがダーウィニズムとの結びつきは意外でした。

 

 当時、通俗的なダーウィニズムというのが人口に膾炙していて、それは何かと言うと、弱肉強食というか、「強いものが勝って弱いものが負けるでしょ」というもの。でもそれは嘘で、クロポトキンは通俗的なダーウィニズムというものを批判し、本来のダーウィニズムとはこういうものだよね、と言っていった。つまり「相互扶助するからこそ進化するんだ」ということをダーヴィンに即して言っていったんだというのはありますね。ただ今見ると無理あるよね、という議論はあります。でも、まあ、19世紀末だし。

あと、今見ると無理あるという点で、クロポトキンは科学に対して全面的な信頼を置くんですね。「科学が進歩していけばいくほど、この世界はアナキズム的になるんだ」と。

 

——科学に関しては森さん自身はどうお考えですか? クロポトキンのように思われますか?

 

 そういうふうに見れなくはないけれどね、僕は両義的な気持ちがあります。たとえばドゥルーズとかだと、科学を徹底させれば科学が勝手に瓦解するんだ、というハイパーモダニズムみたいなところもあるんだけど、でも、科学についてはわかんないっす。専門家じゃないからね。まあ、これは19世紀末なので、今とはだいぶ科学の状況が違うので、クロポトキン的なものを現代で蘇らせたときにどうなるかはわからない。

 

ただ、科学を嫌がらずに勉強してみてもいいのでは、とは思っています。僕はホワイトヘッドを研究するにあたって中2の所くらいから数学を勉強し直したんです。でも、みんなビビってるだけで、2年くらい勉強すれば何でも数式みれば何やってるかわかるようにはなる。けど、愛がないと無理ですね。ま、やりたい人はやったらいい。物理だったら「超ひも(超弦理論)」とかがあるし、数学だったら「圏論」とか、数学とか物理学のもっている夢を追うというか、やっていくことそのものは楽しいです。哲学的にも見るべきところはあるかもしれない。しかし必ずしも科学を徹底すれば社会はよくなるのかというとそれはわからないです。

 

←超ひも

 

——クロポトキンの相互扶助の理念は、現代に敷衍させることができるでしょうか?

 

 相互扶助というのは身近にあるものなんじゃないの?と思うんです。でも、僕にとって「東京なるもの」には相互扶助はないもので、僕の主観でしかないんだけれど、田舎というか、地球と共存している感覚があると相互扶助で生きている感覚はある気がする。

僕、中高生のとき、貧血でしょっちゅう電車で倒れたりしていたんです。栗原さんも殴られたとか書いてましたけど、「助けてください」って言っても誰も助けてくれない。「東京fuckだぜ」というのがあった。

ただ、東京を一歩出てみるとそんなことはなくて、「助けてください」とかいったら、「どうした」ってうざいくらい助けてくれたりとかするんだけど、それは個人的な感想なので東京を一般化するつもりはないけれど、東京には人が倒れても助けないという側面がないわけではないのかなという気がします。

 

——都市での実践はなかなかむずかしいのでしょうか? たとえばレベッカ・ソルニットは『災害ユートピア』の中で、9・11やニューオリンズのハリケーンなどをアメリカで起こった歴史上のいくつかの事件・災害を例に挙げながら、その直後の非日常的な状況のなかで自然と相互扶助的な共同体が生まれてくることについて論じていたと思います。そういったことはこの東京でも起こりうると思われますか?

 

 

 レベッカ・ソルニットが『災害ユートピア』で挙げていた例というのは、94年のニューヨーク大停電のときにもたしかに窃盗とかあった、そりゃ一部はありますけど、ほとんどはみんな助け合った。キャンドル持ち出して、自分たちの店から食い物もっていって、「これ食えば?」ってやっていた。で、9・11のときもどうだったかというと、結構みんなやっていた。

 

じゃあ日本はどうかというと、卑近な例だと、3・11の時は僕いなかったんですけれど、熊本地震のときは、みんなほとんど暴れるようなことはなくて助け合ってどうにかしようとしてたしね。学生達に聞いて面白かったのは「(地震が起きて)やっと先生の言ってる意味わかりました。自衛隊も安倍も来ねえ」と。「だろ? 来るわけないんだ」と。僕、授業とかで「あんな奴らが君らのことを助けるなんて間違いだ」とずっと言ってたんですが、それがやっと実感できたという。悲しいことにそういう悲劇が起こったことによってわかることもある。自民党の人たちが東北とかで当選しなくなったというのはその影響があるのかしら、と思ったりもします。まあ、選挙行ってるだけでもうなんかヤダなみたいなところはあるんですが。

 

ただ東京はちょっと違うのかな。レベッカ・ソルニットが出している事例というのは大都市ニューヨークなので、その差異はあるだろうとは思います。個人的には、僕この前ニューヨークにいってみて東京より楽しかったです。これはあくまで僕の感想だけれど、東京だと妊婦さんが腹殴られたりだとか、混んでる電車にベビーカーでのるとキレるおっさんがいるとかいうことあるけど、それはおそらくニューヨークではないです。地下鉄24時間だから、ニューヨークの深夜二時にスペイン語しか喋んない子供たちが、一車両まるまる使ってスピーカーから音楽流してクラブみたいに騒いだりしてるんですけど、多くの東京の印象だと乗客って白眼視するじゃないですか、「うるさいんですが」みたいな。でもニューヨークの地下鉄に乗った限りでは、みんな「いいねー」みたいな顔してるんですね。だから「なんて自由なんだ!」という印象はあります。子供が深夜二時にいるというのがまず許されてるしね。

 

僕、今日も新幹線に乗ってて、うちの子供が騒いでるとうしろのほうでババアが睨んでるんですね。そういうのはすっげー腹立つんです。「子供うるさいのは当たり前だろ」って。ニューヨーク行った限りでは、ぼくの瑣末な経験の限りはですが、そんなやつはひとりもいなかった。ただこれは個人的な感想なので一般化はできないです。

 

 

(つづく 

 

アナキズム特集

Ⅲ 『アナキズム入門』勉強会②〜自然、歩く、ずらして戦え!〜(ルクリュ、マフノ)

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 『アナキズム入門』勉強会② ―ルクリュ、マフノー

カメラ目線

 

  • ルクリュ

——じゃ次行きます。ルクリュ。

 

 ルクリュは僕が1、2番目に好きなアナキストですね。

 

——読んでてもそれはすごく伝わってきました。

 

 僕、ルクリュのすごい好きな言葉があって、「選挙に投票するということは僕らの権利を放棄することだ」ということを言っています。もっと前だとルソーがイギリスをディスるときに「イギリス人って選挙してみんな自由だとか思っているけれど、選挙って投票する瞬間だけ自由で、そのあとは結局奴隷でしょ?」と言っている。それを受けてかどうかはわからないけれどルクリュは、選挙ですべてを決めるというのは無駄だよね、と。

そうじゃなくて「われわれが生きる上での前提とするのは何か?」といったら、彼は話をどーんと広げて「自然だ!!!」っていうわけです。

 

これもレヴィ=ストロースの「文化と自然」とかでよくいわれる話なんですが、ある対立項をつくるとすごい相対的な話になってしまうんです。そうじゃなくて、「それそのものになってしまうことによって相対的なものをずらすことができる」とルクリュは言っていて、例えば、自然そのものに自分がなることによって、そこから派生する文化や科学というものがあるのだけれども、やはり具体なくして抽象なしで、自然がなければ、何も生まれない。これはよく言われるし普通の話ではあるんだけれど、それを体で実感するって難しいと思う。僕も頭ではわかってたんですけれど、本当にこれがわかるようになったのはずっと最近のような気がしていて。腑に落ちたというか、丹田でわかった、というか。

たとえばこのパクチー、今年採れたからお土産にもってきたんですけど。

 

——このパクチーおいしいです。

 

 たぶんときどきイタリアンパセリ混ざってますよ(笑)。で、パクチーは採れたから持ってこれたんですけど、今年、菜の花が採れなかったんですよ。なぜ採れなかったかといえば、寒かったから。こういうのって僕も都市/田舎の区分で考えがちだったんですけれど、最近農業するようになってから「都市と地球の問題だ!」と思うようになったんです。オカルトみたいなこと言ってますが(笑)。

 

でもこれって実感でしかないんですよね。今年寒かったでしょ? 寒かったから採れないんです。じゃあ地球全体はどうなってたかというと、北半球寒かったから南半球クソ暑かったんです。だからオーストラリアとかって暑すぎて死んでる人とかいるんです。

 

で、「これ、地球じゃん!」って思ったんすよね。昔、「地球ちゃん」ってゲームあったでしょ?

 

——???

 

 まあ、要するに「地球」なんですよ!!! なんか○マギシ会みたいになってますけど(笑)。とにかく、自然なるものを理念としてではなく具体的なコンクリートなものとして理解することで、そこに対するアフェクトとか、受け身だろうが能動だろうが相互の関係が出てくる。自然のなかに人間がどうやって入っていくかというときに労働ということが出てくる。林業とか、農作業とか、自然と人間の労働、ないしは人間社会というものがあって、それらを三つ巴として考えていく契機が必要なのではないかという部分で、自分がいま実践中という部分はあるんですけど。生活実感としてあるだけで言語化はできないけれど、そのモデルにジュラ連合とかがあるというのはそうだと思うし、でも、そういうのって天然でやってる人は日本というか東アジアは結構いるので。「ヨーロッパだ」とか「哲学だ」とか下手にいわなくても、実は身近にあるし、自然とやってきた人たちって結構いるんですよね。

 

——自然ということに関連していくと思うのですが、ルクリュの章では「歩く」ということも強調されてらっしゃいますよね。

 

 「歩く」ということについては最近、レベッカ・ソルニットの『ウォークス』って本が翻訳も出たみたいですが、

これすっごい面白くって、ソルニット流のウォークス歴史論なんですけれど、彼女は歩くというのが常に「抵抗」と結びついているかのように見せてくれています。ウォーキングという概念が生まれたのってある時期のイギリスで、その時にどういうふうにウォーキングしていたのかというと、まさにジェントリフィケーション(※ Gentrification:都市において、比較的低所得者層の居住地域が再開発や文化的活動などによって活性化し地価が高騰すること)のさきがけじゃないけれど、「囲い込み運動」というのがある中で自分たちがウォーキングというのをしていくんですね。囲い込みがあって私有地が特定されているなかで、そこを歩いていくわけです。「今までうちらが歩いてきた場所だから」って。そこで、土地の所有者は「これは俺の土地だぞ!」ていうわけだけど、「いや俺たちはそれ以前にここを歩いてきたんだ」って抵抗していくというのが脈々と500年の歴史のなかにある。で、ここがソルニットさんのうまい書き方なんだけど、そういうふうに、歩くことというのはどこかしら僕らの身体や「ただ生きていること」と結びつくということ。「ただ生きていること」と所有とかって実は全然関係ないわけですね。身体的な所作と抽象的な法令や条例だとかは何も関係ないだろう、って。

 

←囲い込みの石垣(リンク元

 

あと、僕が好きな登山に関していうと、帝国主義的な地理を見ていると面白いんですけれど、歩いているところってだいたい稜線なんですよ。福岡県と熊本県の間とかね。「あ、今おれ、どっちでもないとこにいる…!」みたいに境界・線上を歩いている自由な感覚というのはすごく面白くて、歩くことで帝国主義的な地理とは異なる仕方を見れる。そこにはずっと林道もあるし、林道以前に修験の道とかってどこ行ってもだいたいあるんですが、修験の道とかは境界線上とかいっさい無視していくわけです。どの場所にも岩があったりね。そういうふうにしていったほうが我々の身体の自由って獲得しやすい気はします。身体に忠実になることで、境界線や、国境もそうだと思うんですけど、いろんなことを無視すること。ある種、概念上の自由というものを獲得できるというのは、歩くだけではなく身体に関してはあると思う。

ってなんか哲学的な感じに言ったけど、ただ歩くのが好きってだけです。

 

 

 

  • マフノ

 

——最後にマフノですが、マフノは本書のなかで触れられているように「必殺仕事人」のイメージがすごい強くのこりました。かっこいいけどこわいというか。森さんはマフノのどこらへんに魅かれるのでしょうか?

 

 マフノが面白いのは戦術的なものというか。相手は戦術・戦略的に我々を攻めてくるわけですよ。でもそうじゃなくて、そこで突発的になにかをする。これはブラックブロックとかもそうだと思うんですけれども、目の前の機動隊というのは上意下達だから命令があるまで動けない。そこで「わーっ!」て動いて機動隊ぼこぼこに殴るとか逃げるとか、突発的になにかすればいいわけですね。そういうのを近代以降まさにやっていたのがマフノだったというのがありますね。近代というのを「枠組み」として捉えるのであれば、枠組みにたいして正攻法で「えいやっ!」と戦うのではなくて、そうじゃない仕方で戦う、と。そうするのがアナキズムだと捉えたときに、マフノはまさにアナキズム的に戦っていた人たちだと。

 

 

←ブラックブロックの方々

 

これは近代以前から戦術としてずっとやってきたことではあります。たとえば、一応党が主導していたけれども、一概にそうとも言い切れないのがベトナム戦争だったりするわけですが、そういうゲリラ戦で勝っていくというのは、古代から最近にいたるまでずっとあった戦い方で、そういう意味ではアナキズムというのは近代以降のものではあるんだけれども、概念は実はずっとあるものなんじゃないのというのはあります。

 

——「イズム」として確立される以前に、アナキズム的なるものは時代や場所を越えて常にあらゆるところにあったということですね。

 

 あとがきで書いていったところで、「近代的なものに対して近代的なもので戦う」と、そういうのも 必要なんだろうけれど、それとはちょっと違う仕方で生きて行くこと、それがアナキズムなんじゃないの、ということで、その語り方をわかりやすくしてくれていたのは鶴見俊輔さんだと思う。

 

 

彼は必ずしもアナキストだというべきではないかもしれないけれど、彼もそのエッセンスを引き継いでやっています。彼は「土壌をずらす」ということを言っていて、面白いのは例えばハンガーストライキの事例。国家が何か嫌なことをしたらデモをする、あるいは交渉するというふうに、近代にたいして近代的な枠組みで対決することも必ずしも無駄ではない。無駄ではないけれども、ハンガーストライキっていうのは、ただそこに自分の身体をさらして飯食わないでいる、と。「お前らなんかしてくんないと俺死んじゃうよ」、と。もう交渉でもなんでもないですね。ずらす。そういうことを事例として彼は出して、「ずらすことによってわれわれは勝ち得ることもあるんじゃないのか?」ということを書いている。

 

——近代という同じ枠組みのなかで対抗するのでも、よりいっそう近代的であろうとするのでもなく、あくまでも「ずらす」というのが面白いですね

 

 でも、だいたいの事例がそうなんじゃないかな。というのは、デモにしてもなんにしても、近代に対抗して近代でやって勝っちゃうこともあるじゃないですか。でもその前提として、常に「ずれたもの」というのがある。一番わかりやすいもので言えば、米騒動。

 

←米騒動

 

米騒動って何をもって勝ったというのかわからないけれど、たとえば原内閣を打倒したということが仮に勝利だとするとして、米騒動を起こした人たちは原内閣を打倒しようとしてやってたわけじゃないんですよ。近代に対して近代で対抗しようとしていたのではない。そうではなくてただ単に「腹減った!」と。つまり、オルタナティブで戦っていたのではなくレボリューショナルに戦っていたわけです。それで勝ったわけです。そういうふうに常に前提がないとオルタナティブな仕方でも勝てない、というのはあると思う。

 

ロシア革命でも歴史上では「パンよこせデモ」で勝ったということになってます。でもその間200年のあいだにいろんな歴史があったわけですね。貴族が戦っていた時もあったし、民衆が戦っていたときもあったし、デカブリストの乱とかもあって、200年くらいかけてそれが醸成されて、それで最後にポンと「パンよこせデモ」で革命がおきた。そのときには500人から1000人くらいの人たちが王宮の周りを囲んだといわれているんですが、そんだけの人数で革命がおこっちゃうわけです。でもその一方で、デモ以前の話で、我々の生活のレベルだとか、近代の生活の土壌とはずらされた形、ある種レボリューショナルな形でずっとなにかをやってきたから革命が起きたんです。

 

よく「そのあとアナキストたちは殺されたしダメじゃん」とか言う人もいるんだけど、まあ、そりゃボリシェビキ(※集権的共産党組織を主張したレーニンを支持する革命的左翼)とかが勝っていきはしましたけれども、ボリシェビキに対して言いたいのは「俺たちがいなかったら勝てなかったでしょ」ということ。常にアナキズム的なものがなかったらどの革命も勝てなかったでしょ?

 

もっというと、その「アナキズム的な」という部分で面白いのは、みんなが自分のことをアナキストだと思ってないわけですね。自分で自分のことを「アナキストだ!」と言ってる人ももちろんいるけれど、農作業とかして、天然でアナキズムを実践している人たちがいるんです。ボリシェビキの政権になって農作業に従事してるんだけど、その間、精神としてはある種アナキズム的なものをずっと持ってやっているわけですよ。別にアナキズムというのは、看板を掲げて負けたということはあるだろうけれども、我々の歴史の中でずっと生きてきたし、負けたことない。ってか最強なんじゃないかと思うんですけど(笑)。

 

——アナキズム最強説。

 

 もちろん鶴見さんに依拠すれば、官邸前でデモすることも大切なんです。ちょくちょく森友学園にキレるとかね。運動で反対することも大切なんですけど、それが必ずしもメインにしてはならないと思っていて、官邸前だけが革命だとは思わない。だって、それだったら九州の田舎に住んでいる僕はなんなんですか?ってなっちゃうわけじゃないですか。東京だけが日本なんですか?って。そうじゃない仕方で、土台というか自分たちがなにをもってそこに気持ちを置くかということのほうが僕にとっては大切で、そこにある種のアナキズムなるものがあるんじゃないか、と。その意味で、アナキズムというのはイデオロギーである一方でイデオロギーではない気がします。

 

その辺は栗原さんとかは違うか同じかわかんないし、人それぞれアナキズムというのはあると思うんですけど、人間が土壌をずらしたうえでやってきた知恵みたいなものって、必ずしもアナキズムそのものではなくて、いろんな活字媒体で残っていたりしているんです。

 

——例えば具体的にはどういうものがありますか?

 

 最近亡くなった石牟礼道子さんとかは、近代に対してなんか独自の、石牟礼語としか言いようのない文章書いて、「ぎゃんしてぎゃんしてぎゃんするとよ」みたいな文章かいてたたかったわけですよ。

それと最近水木しげるがすごい好きなんですけど、妖怪っていないけどいるじゃないですか。そういう近代的な枠組みとはずれたやりかたで知恵を絞ってやっているひとを見ていきたいし、われわれはどうやって知恵を培ってきたのかというところを見ていくことのほうが面白い。それに、そうすることで僕らの土台を作っていくことができるのではないか、という気はしています。中沢新一の影響がここにあるのかもしれないけど(笑)。

 

 

僕らがずっと培ってきた5000年くらいの知恵というのは、もちろん哲学にもあるだろうし、社会学にもあるんだと思う。ただその中に埋もれていてちょっとわかりにくくなっている。その埋もれているものをみていく不可視のオントロジーというか、そういうものを見ていくというのが今の僕にとっては課題ということでやっていっています。

 

 

(つづく 

アナキズム特集

アナキズム勉強会Ⅰ ——『アナキズム入門』に至るまで

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Ⅰ 『アナキズム入門』に至るまで

 

 

——今日はプラトンとプランクトン企画アナキズム勉強会ということで、『アナキズム入門』の著者、森元斎さんにゲストにお越しいただきました。わざわざ新幹線で東京にいらしてくださってありがとうございます。
さっそく本題に入っていきますが、森さんはどういう暮らしをされているのですか? 現在の生活や思想に至った経緯はどういったものだったのでしょうか?

 

森元斎(以下、森) こんばんは。森です。一応今は福岡に住んでいて、大学で非常勤をしていて、あとは基本的に田んぼとか畑を耕す生活をしています。専門はもともとは現代の哲学で、博士論文はホワイトヘッドっていうイギリスとアメリカで活躍した19世紀末~20世紀初頭の哲学者で書きました。

一方でアナキズムはなんでやっていたのかというと、高校生のときって好き勝手できないなりにいろんな本読むじゃないですか。それで「ハキム・ベイ」とかいう人がいるとか「アナーキー」とかいう概念を知って、大学入って、授業を受けて、哲学の本を読めるようになっていって、中央大学で運動めいたことをやっていた。その当時、横目では法政大学で松本哉さんとかが「全貧連」(全日本貧乏学生総連合)みたいなことをやっていたんです。

2000年代前半ってそういうことが波及していた時代なんですよね。それをちょっと真似してみようかなって運動してたんですけど、大学が22時で閉まってしまうので、大学に24時間居座り続けてみるといった流れで、24時間鍋をやろうとコタツとか酒を持っていったりして、そうするといきなり警察みたいな民青(日本民主青年同盟:要するに共産党の学生部)っていう人たちがやってきて「お前何やってるんだ!」って(お前こそ学生だろ?なにやってんだ!って感じですけど)怒られながらコソコソやっていたくらいですね。だから大した運動自体はしてない。けど、その時に「ノンセクト」という、いわゆる新左翼ではない、つまり共産党を出自にしない運動体みたいなものがあるんだなっていうことを知って、で、僕らが自律的に大学の中で運動をやっていくなかで、先達にはどういう人がいるのかというのを見ていくと、中央大だと黒ヘル=黒いヘルメットをかぶったノンセクトという人たちが強かったんだよね。それをどんどん遡っていって、100年とかいって、バクーニンとかボチボチは読んでたんだけども、本業はあくまで哲学をやっていく中で、やりたいことというのはやっぱそっちの方だな、ということは薄々気づいていたんです。

 

←黒ヘルの方々(リンク元 )

 

だから僕の中では正規のルートとは異なるところに常にアナキズムがあったんです。それこそ中央大では指導教官とは別に、中沢新一っていう当時オウムの事件とかに関わっているのか関わっていないのかよくわからないけど、面白い人がいたんですよ。それで有名だし行ってみようと授業に行ってみたり、大学や大学院とは別のところで、平井玄さんだとか、酒井隆史さんだとか、フランス行ったらエリー・デューリングさんとか研究の外側でよくしてもらっていました。常に正規のルートとは違うところに生きていくことの面白さということを実人生でも体験していたんです。

正規のルートというのも僕の中では重要ではあるんですけれど、たとえば哲学の体系をちゃんとやるとか、哲学的な訓練を密教化したいとかいうわけじゃないんです。言葉を一言一句拾って行って、単語がどこにかかるのかを読解して、一日に読書会して半ページしか進みません、みたいな哲学的な訓練というのはあって、それは僕の中ではもちろん重要ではあるんですけれど、その一方でそれと別に自由に話したりするのも重要だった。そのバランス感覚というのは幸か不幸かあるんですね。

 

——フランスに行かれてから今の福岡に移り住むにあたっては何かきっかけがあったんですか?

 

 今福岡にいるのは、フランスにいる前後くらいに、パートナーが妊娠した、と。困った、と。で、とりあえずたまたまパートナーの実家が福岡にあったんで、パートナーの実家に帰って、そのうち子供とか産まれちゃって、それから6、7年経っているけれど未だに困っている、っていうのが今の状況です。

 

——森さんご出身はどちらでしたっけ?

 

 僕もともと東京の郊外に住んでたんですけど、9歳か10歳くらいまでプチブルのいい生活をしていたんです。それからバブル崩壊した煽りを受けて、父親の借金が発覚して、離婚したりして、母子家庭になって、東京の西の郊外に住み始めて、バブル崩壊してからは悲惨で、最低貧困層の生活、住んでた多摩ニュータウンでも最底辺の人たちの中で生活していた。その中で若い人たちのコミュニティというのがあって、何をするかといえば基本的にドラッグとか窃盗団だとかそういうものしかなかったんだけど、でもその時のコミュニティ環境というのが、人によるとは思うけど僕は居心地が良かった。そうやって日銭を稼いでたんだけど、大学入ろうかなって思って、一番近い大学が中央大学だっただけで動機も大してなかった。でも、本を読むって楽しいんじゃないの?って、読み続けていたらこうなっちゃった。

今、いろんな人がヤンキーについて言ってるから一概に「ヤンキー文化」って言っていいかわからないけれど、斎藤環とかが言っているのとは違う意味での「ヤンキー感覚」というのが僕の中にあって、そこに言葉を与えてくれているのがアナキズムだったんじゃないのかな。で、そこに少しずつ言葉が外堀を埋められていく感じで大きくなっていったというところはありますね。

 

——『アナキズム入門』は前著『具体性の哲学』とは文体が大きく異なっていますよね。いずれも魅力的ですが、『アナキズム入門』では森さんがアナキズムのありかたを文体でも表現することにチャレンジされたのでは、と思いました。今の文体に至ったのにはどのような影響があったんでしょうか?

 

 ほんとに「いずれも魅力的」だと思ってますか?(笑) 嘘つかないでくださいね。どのような影響があったかというとアナキズム云々以前のものが大きくて、雑誌の影響はあった。高校生くらいの頃にバンドをやってたんですが、当時今とは違って雑誌を読んでいた人が結構いたと思うんです。『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ)だったり『Quick Japan』(太田出版)だったり、その頃は「サブカル」って今みたいに変な風に言われる前のいろんなものがごちゃまぜになっていた時期で、まだ雑誌の媒体で読める状況だったんですよね。その時読んでた竹熊健太郎さんとかの文章の影響が20年越しに効いてきているというのがありますね。

あとは、今こういうふうに喋っている感じで文章書いたらどうなのか、と。横を見てみたら栗原さんもこうやって書いている。というか、もっといかがわしい感じでいっぱい書いてる(笑)。そういうふうに、ちょっと横を見てみたら実はいっぱいいるんじゃないか、と。ま、入門だし、人に話しかける感じで書いてみてもいいんじゃないかと自分なりに噛み砕いて書いた時の文体がこうだった。だから誰に影響受けたとかじゃないです。ある時期は査読論文に通すために哲学の哲学的な文体で書いていて、それはそれで必要だとは思っているんですけれど、今はそれとは別に好きな事をやっていくことも大切だと思って、『アナキズム入門』ではその両方が混じっているかもな、っていうくらいのものが書けたのかもしれない。

 

(つづく 

批評

不在の人、麻理——押見修造『ぼくは麻理のなか』における名前と身体  しだゆい

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不在の人、麻理——押見修造『ぼくは麻理のなか』における名前と身体

 
しだゆい

 

 2012年より『漫画アクション』誌上にて連載された漫画家・押見修造の『ぼくは麻理のなか』は2016年に全9巻で完結した。その年ちょうど新海誠監督の『君の名は。』が記録的なヒットを果たしたこともあり、完結に際しては「『ぼくは麻理のなか』は、現時点での入れ替わりの最新表現である」という新海のコメントを記載した帯が全巻に巻き直されている。とはいえこの作品をいわゆる「入れ替わりもの」と呼ぶことは、実のところ少々問題含みかもしれない。というのもそこに生じているのは必ずしも厳密な意味での人格の「交換」ではないからだ。名も知らぬまま密かに「コンビニの天使」と綽名していた女子高生・吉崎麻理の「なか」に入ってしまった「ぼく」=自堕落な大学生・小森功(の人格)が出会うのは——大方の予想に反して——小森功の姿をした麻理ではなく、麻理のことを知らないもう一人の小森功であり(第5話)、必然的に物語は「麻理さんは/どこに行ったんだ?」(第2話)という問いを軸に進められることになる。つまり、これは要するに不在の人をめぐる物語なのである。作品内で幾度となく反復される「麻理」という固有名のうちに私たちは「ゴドー」から「桐島」にまで至るそれらと同様の、ある予兆的な響きを聴き取らねばならない——すなわち麻理のなかにいる小森と、麻理がそこにいないことを唯一看破した柿口依、この二人の崇拝者によって待望される来たるべき者の名前として。

 もっとも、その先に用意された結末は件の問いに対し、麻理は初めからここにいたのだと答えているように見える。そしてそれを踏まえたとき、この作品は一人の少女におけるアイデンティティの崩壊と再統合の物語として——つまるところ多くの押見作品と同様に思春期の終焉を描いたものとして、妥当にも読み解かれることになるだろう。するとこの場合「不在の人をめぐる物語」という当初の印象は、その不在ゆえに彼女が醸し出していた一種神格的なオーラとともにいわば単なるまやかしとして、エンディングを以て全くの無意味となってしまうのだろうか。このような、結末がそこに至るまでの過程をある意味で「裏切る」タイプの物語を解釈する際に、当の過程をすべて単純に切り捨ててしまってよいのだとすれば、しかしそれはあまりに貧しい見方と言うべきではないか。

 そこで以下、私たちは『ぼくは麻理のなか』をあたかも初めて読む人のように、敢えて結末をいったん宙吊りにしつつ、あくまでも「不在の人をめぐる物語」として読み直してゆく。そしてここにはいない者であるとはいかなる事態であるのか、その存在=不在のありようを「名前」と「身体」という二つの観点から考えることで、それが本作の結末とその解釈においてきわめて重要な意味をもつことを示したい。

 

1.名前

 自らが「コンビニの天使」と呼び崇拝してきた少女の身体で目覚めた小森功は、机の上に置かれた生徒手帳から彼女が「麻理」という名であることを初めて知り、その名を何度も口にしながら思わず涙を流す(第1話)。また学校にて、同級生の女子たちに挙動がおかしいことを指摘された小森=麻理の「わたしってふだん/どんな…だっけ?」という問いに、親友のももかは戸惑いつつ「麻理は麻理でしょ?」と答える(第4話)。

 ほんの少し意識をチューニングするだけで、マンガ写植の慣習上ゴチック体で印字された「麻理」の二文字は謎めいた符牒のごとくページの端々に黒々と浮かび上がり、あたかも麻理という存在の一切の重みがその名一つに担われているかのようである。実際、その日の小森=麻理の言動に散々違和感を表明していたはずのももかが、いざふだんの麻理とは「どんな」なのかを問われても無意味なトートロジーではぐらかさざるをえなかったのは、反復されるその名前こそが彼女にとって麻理の本質であったことの証ではないか。このことは物語の終盤に至って前景化される母の問題を予め暗示してもいるわけだが、ひとまずそれは措いておこう。ここで重要なのは、麻理の名をただ繰り返しながら困惑するほかないももかたちに対し、決してその名を呼ぶことのなかった柿口依ただ一人のみが麻理の不在に気づきえたということだ。要するに麻理は麻理と呼ばれているその限りにおいてそこにいる、あるいはそこにしかいない、ということはつまり初めからどこにもいないのである。今ここにいないが必ずどこかにいるということ、それこそ到来を待望される存在たるための条件なのだとすれば、麻理は彼女を「吉崎さん」と呼ぶ依の「おまえ誰だ」という問いをもってようやく、真に不在の人となりえたのだった(第6話)。

 この点に即して物語を追ったとき、依による呼称の微妙なブレが一つの仕掛けとして浮かび上がってくる。まず依は目の前の小森=麻理を端的に「小森」と呼んでおり、したがって彼女の発語する「吉崎さん」は、少なくともある時点までは原則として不在の人を指し示す三人称であった。ところが第14話、吉崎宅に泊まることになった依は小森=麻理の眠るベッドに潜り込み、初めて麻理に宛てて次のように語りかけるのである——「麻理/あのとき/いつもみたいに私が保健室のベッドの中に逃げ込もうとしたとき/あなたがいた」。そうして麻理は突然に依の手を引き、彼女を胸に抱きしめたのだという。

 このとき小森=麻理は眠れないまま依の独白を密かに聞いていたのだが、第42話に至って明らかになるように、彼はそこで語られなかった(したがって本物の麻理でなければ知りようのない)出来事の細部までをなぜか知ってしまっていた。ここから、依は麻理が「どこかに行っちゃった」のではなく「その体の中に眠って」いるに過ぎないのだという仮説を提示する。たしかにこの見立ては、結末に照らす限り真相をおおむね正しく見抜いていたことになるだろう。だが少なくともこの時点では、依の認識はむしろ後退していると言わねばならない。というのも以後しばらくの間、彼女はそれまで抑え込んでいた欲求を一気に開放したかのように学校でも小森=麻理に屈託なく「麻理」と呼びかけ、いかにも友達然として振る舞うようになるのだが、それによって彼女は小森功という人格をいないことにするだけでなく、麻理をその名で呼ぶことによってそこにいることにするという、まさしくももかたちと同様の過ちを犯してしまってもいるからだ。

 この事態について考えるために、第42話における事のなりゆきを「呼称のブレ」に着目して少しばかり丁寧に追ってみよう。

 保健室のことに話が及ぶ直前、依は不意に「麻理さん」という言葉を口にしている。これは専ら小森の用いる呼称であり、ここで依は彼の言い方をいわば引用したのだと考えられる。第三者について、会話相手による呼称を敢えて用いつつ言及するというのはたしかによくあることだろう。しかし第14話以降も三人称的な言及では一貫して「吉崎さん」という呼称を使用していたことに鑑みれば、この何気ない引用は彼女の意識に萌しつつあった何らかの変化を示していると見るべきではないか。事実、続けて依は目の前の小森=麻理に、あたかもそれが麻理その人であるかのように語りかけている——「あのとき麻理が…保健室で抱きしめてくれて/初めて私に近づいてくれて/ほんとにうれしかった/なのに私…/遠くから見てただけで/ごめんね」。保健室の一件について小森=麻理が知るはずのない細部にふれ、それを根拠に依が「麻理さんは中にいる」のだと言い出すのはその直後のことだが、おそらくこの時点ですでに依は、そこにいるのが他ならぬ麻理なのだと暗黙のうちに考えはじめていたのだ。言い換えれば、依が目の前の小森=麻理を公然と「麻理」と呼びはじめたことは実のところなんらラディカルな変節ではなく、一種の惰性から密かに進行していた認識のゆるみがそこでたまたま顕在化したに過ぎないのである。

 したがって真の転機はむしろそのさらに後から訪れる。いくらかの波乱ののち、依はそこにいる者を再び「小森」と呼び、かつそこにいない者を名指す三人称的な呼称として「麻理」という名を用いうるようになるのだ。もはやこの固有名は(少なくとも依によって発語される限り)麻理をそこに呼び出すための呪文ではなく、ゆえに麻理はここに至って初めて麻理として不在であることが可能になる。このことは逆説的にも、彼女の存在をその固有名の軛——すなわち「麻理(の存在)は麻理(という名)」であるとする呪いのようなトートロジー——から解き放つことを意味するだろう。麻理が麻理として不在であるとは、すなわち彼女が自らの名前の外、その名が呼ばれる今この場所ではないどこかに存在を認められるということに他ならない。

 

2.身体

 麻理を不在の人として認めること——しかしながらそれは、裏を返せば今ここに現前している彼女の身体が麻理であるとは決して認めないということでもある。そこにあるのはたしかに麻理の(所有する)身体かもしれないが、それ自体は麻理ではない。そもそも麻理がそのなかにいる/いないという表現自体、一つの人格が特定の身体から切り離されてそれなしに存在しうることを明らかに前提したものだ。その意味で依の見方はきわめて心身二元論的、かつ個人の同一性を「心」のほうにのみ認めるいささか偏狭なものとも思われるかもしれない。むしろ最後まで麻理が麻理であることを疑わないまま戸惑い、そして排除したももかたちのほうが(外見や名前以上の麻理の「内面」にかんして何ら具体的な認識をもっていなかったことを含めて)よほどラディカルだと言って言えないこともないだろう……とはいえ、実のところ問題はそれほど単純ではない。

 まず確認しておくべきは、麻理の身体のなかに小森功という人格が入り込んだのだというのはあくまでも小森=麻理の説明に過ぎず、依は必ずしも最初からそれを信じ込んだわけではないということだ。第8話、自分が小森功であることの「証拠」を見せろと言われた小森=麻理は依をかつて自分が住んでいたアパートへと連れていき、忍び込んだ留守中の室内で学生証を見せながら彼の所属や出身地を諳んじるのだが、それに対し依は次のように返答する――「…べつに/小森功とかいうヤツの個人情報いくら並べられてもね……/その身体が本物の吉崎さんだって証拠にはなってないし」。つまり少なくともこの時点では、依は目の前の存在が身体ごと偽物である可能性も考えている。そして「この身体は絶対麻理さんの身体だよ」と(さしたる根拠もなく)なおも主張する小森=麻理に対し「……信じない」と冷たく言い放つのである。

 ところがこの疑念はすぐさま放棄される。今もこの部屋に住むもう一人の小森が戻ってきたため依たちは急いでベランダへと逃げ込むのだが、そこで二人は彼が帰宅早々にマスターベーションを始めたことに気づく。そして小森=麻理がその姿をおそるおそる覗こうとしたとき、依はその目をさっと塞いで「吉崎さんの眼球で…見るな!」と叫ぶのだ。

 いかにして依がそれをたしかに「吉崎さん眼球」であると認めるに至ったのか、その経緯は一見したところはっきりとは描かれていない。しかしそれに先立つあるシークエンスを一つの手がかりと見ることはできそうだ。それはベランダで息を殺す二人の汗ばんだ腕が密着し「ぴと‥」と音を立て、続いて目を伏せたままの依が「…さいあく…」と呟く二つのコマである。この呟きは漠然と現在の状況全体に向けられたものである可能性も当然あるのだが、直前のコマで二人の身体的な接触が擬音とともに強調されていたことの意味を強いて深読みするならば、次のようにも解釈できるだろう——すなわち依は自らに触れる身体が麻理のものに他ならないこと、信じまいとしていたその事実をまさしく身体でもって感じ取ってしまった、それこそが「さいあく」だったのではないかと。

 もっとも、仮にその身体が偽物だったとしても麻理がそこにいないということに変わりはないばかりか、少なくとも身体だけはここにある今の状況に比べて、それがまるごと偽物であった場合のほうがむしろ事態はより「さいあく」のようにも思われる。ところが依はそう考えない。なぜなら彼女の絶望はあくまでも、それがたしかに麻理の身体であるにもかかわらずそこに麻理(の人格)がいないということ、そのズレにこそ起因しているからだ。つまり依にとってその身体が「本物の吉崎さん」であるとは、単なる物理的な同一性以上に自分がかつてその同じ身体に抱きしめられたということをまずもって意味するのであり、しかし他方では、その身体が今やあの抱擁の記憶を共有していないというただその一点のみをもって、それが麻理であるとはもはや認めることができないのである。

 したがって依は決して麻理の人格をその身体から単純に切り離して考えているのではなく、むしろ自分を抱きしめた他ならぬこの身体とその記憶との結びつきそれ自体にこそ麻理が麻理であることの条件を見出していると言うべきなのだ。おそらくここに、ももかと依の最大の差異があるのだろう。そもそも依が小森=麻理を「おまえ誰だ」と問い詰めたのは、それまで一度も使われたことのない「カワイイ」という語が口にされたことに加えて、泣きながらももかに抱き着くという、依曰く「絶対あり得ない」行動も原因となっていた。そして依のこのような断言がそれでも自分はたしかに抱きしめられたのだという自負に裏打ちされていることは明らかである。実際ももかは小森=麻理が彼女の背中に手を回した瞬間に「イヤッ」と言って身体を押しのけているし、もちろんこれはそのときの「触り方がキモ」かったからだと言われるのだが、それを措いたとしても、彼女は麻理の身体についてもともと何も知るところがなかったのではないか。たとえ「友達」としてのカジュアルな接触は日常的にあったにせよ、彼女の身体がもつ剥き出しの物質性に生々しく不意打ちされること——その経験こそまさに依の特権性にほかならないのだが——など、おそらく一度もなかったのだ。私たちは受肉した存在であると言いながら、本当は不気味でたまらないはずの他者の身体の異質さをふだんはできるかぎり覆い隠すことで日々を送っている。そんなにも薄くて軽く、また透明な身体は、それゆえ名前とほとんど見分けがつかない。こうして麻理の存在は、絶えず反復されるその名前のなかにいともたやすく閉じ込められてしまう。身体の消去と固有名の呪縛はまさしく表裏一体なのである。

 

   *

 

 ここにはいない者であるという麻理の存在=不在のありようは、したがって一方ではその存在を「麻理」という名前の軛から解き放ちつつ、他方ではその不在をたしかにここにある身体の現前と対比的に結び付けるという二重のプロセスを通じて成立している。私たちのアイデンティティを担う最も根本的な支持体にほかならない「名前」と「身体」というこの二つのファクターは、やがて物語の核心をなす主題として前面に浮かび上がり、結末における解決——麻理は初めからそこにいたのだということ——もまた、まさにその延長線上に導き出されることとなる。ゆえに麻理の不在とは決して、単なるフェイクの印象として最終的に否定されてしまうだけのものではない。それどころか彼女の人格が同一性を取り戻しつついっそう高次の統合へと至るためには、正しく不在でありうるという可能性の獲得がどうしても必要だったのである。結末に明かされる真相が少なからず「サイコな」ものであるとしても、そこに至る道のりは必ずしも「精神的な」ものではない。むしろ常に精神の残余としてある名前と身体をめぐってこれほどにも精密なドラマを紡ぎあげたという、その点にこそ本作の最大の達成は見出されるべきだろう。

 

参考文献

押見修造『ぼくは麻理のなか』全9巻、双葉社(アクションコミックス)、2012-16年

 

批評

ガラスのケースに入れられて ――J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』とグラース家の物語 深沢レナ

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ガラスのケースに入れられて
――J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』とグラース家の物語

 

深沢レナ

 

 僕は、歩きながら、ポケットから例のハンチングを出してかぶった。僕を知ってる人に会うはずがないことはわかってたし、天気がいやにしめっぽかったんだ。僕はどんどん歩きつづけ、歩きながら、昔の僕と同じように今はフィービーが土曜日にあの博物館へ行っているということを考えていた。昔僕が見たのと同じ物を、今フィービーはどんなふうに見てるだろう。そしてまた、それを見に行くたびごとに、フィービー自身はどんな変わり方をしているんだろう。そんなことを考えてると、必ずしも気が滅入ってきたというんじゃないが、またさして明るい気持にもならなかった。ものによっては、いつまでも今のままにしておきたいものがある。そういうものは、あの大きなガラスのケースにでも入れて、そっとしておけるというふうであってしかるべきだと思う。それが不可能なことぐらい承知してるけど、やはりそれは無念なことだ。とにかく、そういうことをいろいろ考えながら、僕は歩いて行ったんだ。
                    ——『ライ麦畑でつかまえて』

 

 

『ライ麦畑でつかまえて』の作中、主人公のホールデン・コールフィールドが妹のフィービーと二人ベッドにこしかけて話し込む場面がある。時期はクリスマス間近。放校処分になったホールデンは両親にばれないようにこっそり妹のところにやってきたのだった。学校のことをフィービーが問い詰めると、ホールデンは学校でのありとあらゆるものごとへの嫌悪をあらわにする。それを聞いたフィービーは彼に対して本質的な質問をなげかける。兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ。違うのなら好きなものを一つでもあげてみて、と。

ホールデンはしばらく考えてから、しぼり出すようにこう答える。「僕はアリーが好きだ」。アリーというのはホールデンの二個下の弟だったのだが、三年前に白血病で死んでしまっていた。その答えを聞いたフィービーは、現実に背をむけて死んだアリーの思い出ばかり見ているホールデンに腹を立てながらも、彼の切実な言葉——好きなものや大切なものが失われていくのをただ黙って見ていることしかできない現実への憤り——に対して口をつぐまずにはいられない。

 

「アリーは死んだのよ——兄さんはいつだってそんなことばかり言うんだもの! 誰かが死んだりなんかして、天国へ行けば、それはもう、実際には——」
「アリーが死んだことは僕だって知ってるよ! 知らないとでも思ってるのかい、君は? 死んだからって、好きであってもいいじゃないか、そうだろう? 死んだからというだけで、好きであるのをやめやしないやね——ことに、それが知ってる人で生きてる人の千倍ほどもいい人だったら、なおさらそうだよ」
 フィービーはなんとも言わなかった。何といったらいいか、言うべきことが思いつかないときには、彼女は黙っちまうんだ。

 

サリンジャーの作品には、この白血病で死んだアリーの他にも、小説がはじまった時点ですでに死者となっている人間が多く描かれている。そして彼らは主人公たちにとって「すごくいいやつ」だと評されるものがほとんどだ。たとえば代表的なのは、グラース家の物語の中心人物であり、兄弟の精神的支柱になっている長男シーモアだろう。彼が最初に——そして唯一——実体をともなって登場したのは『ナイン・ストーリーズ』の冒頭に置かれている短編「バナナフィッシュにうってつけの日」だが、そこで彼はホテルの部屋で寝ている妻の横でピストルを取り出し、唐突に自殺してしまう。この彼の死がグラース家の物語のはじまりとなっている。また、グラース家の三男のウォルトも同様『ナイン・ストーリーズ』収録の短編「コネティカットのひょこひょこおじさん」に出てくるが、この時点で彼は死者として思い出話のなかに登場するだけだ。そして『ライ麦畑でつかまえて』では先に述べたホールデンの弟アリーと並べて、ジェイムズ・キャッスルという自殺した同級生のことが語られている。サリンジャーの小説においては、「最高にいい人間」というのは物語が始まる時点ではもうすでに死んでいるのであって、それはつまり、こういうふうに言い換えることができるだろう。彼らはもう死んでいるのだから絶対に汚れようがないのだ。

彼らは往々にして、ものすごくいい奴だった、信じられないくらい素晴らしい人間だったと評される。だが小説は彼らが死ぬ/死んでいるところからはじめられているために、わたしたち読者はその死んだものたちが実際にはどんな人物であったか直接推し量ることができない。そして舞台から先に一抜けしているから世俗のインチキなものごとに汚される恐れもない。要するに、サリンジャーにとって素晴らしい人間だと思われる者たちは、絶対に汚れることがないようにあらかじめ彼の手で殺されている、というわけだ。

だが死者というものはわたしたちにとって他者ではなく、彼らの実体はそこになく、記憶だけがいつのまにか美化されていってしまう。死んでしまったものたちは、残されたのものたちの記憶のなかで、あらゆる欠点を削ぎ落とされ、純化され、完全な存在となることができる。それに加えてわたしたちにとって非常に都合のいいことに、死者という存在はわたしたち生者を傷つけることがない。裏切ることもなく、説教してくることもなく、とやかく言ってこちらを否定してくることもない。そのためサリンジャーの小説のなかに生きる者たちは死者をあがめてますます美化していってしまう。

しかしもうそれは、自分がつくりだした自己だけの幻想の世界だ。最初は他者であった死者、それも一番遠いところにいたはずの死者を愛せば愛するほど、いつのまにか、わたしたちは世間から隔絶された自分だけの世界に没頭していくことになる。だから死者であるシーモアを愛し、シーモアの読んだ本を読み、シーモアの残した物や言葉を大切にしているグラース家の兄弟たちは、みな俗世間から切り離されることを余儀なくされている。次男のバディは作家だが田舎で隠とん生活を送り、四男のウェイカーは神父である。長女のブーブーだけは主婦として普通の生活を営んでいるが、その下のゾーイーは独身主義の俳優だ。そんな精神性の高い空気を吸って育った末っ子のフラニーが、つきあっている生身のボーイフレンドのエゴにも、大学のなかで現実に身を浸している自分のエゴにも耐えられずに、レストランで倒れてしまうのは当然の帰結なのだろう。グラース家というのはサリンジャーの手によってあらかじめ俗世間から切り離され、特別な才能を持った特別な人々として烙印を押され、永遠に汚れることができないように運命づけられているのだから。彼らはいうなれば、ホールデンが博物館でショーケースをみたときに思った、フィービーをそのなかに入れておきたいという発想をそのまま現実化し、作者によってガラスのケースのなかにきれいなまま密封されてしまった人々なのだ。「グラース(glass)」という名前にあらわされているように。

 

『ライ麦畑でつかまえて』にはホールデンが次のように語る場面がある。

 

しまいに、何をする決心をしたかというと、どこか遠くへ行ってしまおうと決心したんだ。二度と家へは帰るまい、他の学校へも二度と行くまい、そう決心したんだな。フィービーにだけ会って、さよならやなんかを言って、クリスマスのおこずかいを返し、それからヒッチハイクで西部へ出発しよう、そう決心したわけだ。どんなふうにしてやるかというと、まず、ホランド・トンネルまで行って、汽車のただ乗りをやって、次から次と乗りついで行けば、数日のうちに西部のどこかに着くだろう。そこはとてもきれいで、日はうららかで、僕を知ってる者は誰もいないし、そこで僕は仕事を見つけるつもりだったんだ。どこかのガソリン・スタンドに雇ってもらい、ひとの自動車にガソリンを入れたり、オイルをつめたりして働くことを考えた。でも、仕事の種類なんか、なんでもよかった。誰も僕を知らず、僕のほうでも誰をも知らない所でありさえすれば。そこへ行ってどうするかというと、僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。誰かが何かを僕にしらせたいと思えば、それを紙に書いて僕のほうへおしてよこさなければならない。そのうちには、そんなことをするのがめんどくさくなるだろうから、そうなれば僕も、もう死ぬまで誰とも話をしなくてすむだろう。みんなは僕をかわいそうな唖でつんぼの男と思い、僕のことはほうっておいてくれるんじゃないか。彼らは自分の自動車のガソリンやオイルを僕に入れさせて、それに対する給料やなんかをくれるだろうから、僕は自分がかせいだ金でどっかに小さな小屋を建てて、そこで死ぬまで暮らすんだ。小屋は林のすぐ近くがいい。が、林の中じゃだめだ。だって、僕は小屋にはしょっちゅうよく陽があたるようにしたいんだから。自分の食べ物は全部自分で料理するつもりだが、そのうちに、結婚したりなんかしたくなったら、同じように唖でつんぼというきれいな娘に会って、二人は結婚するだろう。娘は僕の小屋へ来ていっしょに暮らすことになる。そして、僕に向かって何かを言いたいときには、彼女も他のみんなと同じように、紙にそれを書かなければならない。もしも子供が生まれれば、子供はどっかへ隠しておく。そして本をどっさり買ってやって、僕たちだけで読み書きを教えてやればいい。

 

三十二歳のときに『ライ麦畑でつかまえて』を出版したサリンジャーは、それがニューヨークでロング・ベストセラーとなると、ニューハンプシャーのコーニッシュという田舎に土地と家を買い、高い塀をめぐらせて妻と子供と自分とだけで引きこもった。ホールデンの夢をサリンジャーは実際に実現してしまったのだ。あくまでもホールデンは、これは正気の沙汰ではないといって家に戻ってきたのにもかかわらず。

『ライ麦畑でつかまえて』を書きあげたあと、サリンジャーはもはや普通の人々のことを書くのをやめ、グラース家の物語に没頭していく。精神的な深みを求めて東洋思想にも入れ込み、死んでしまった長男のシーモアの物語を掘り下げようとしたのだ。それでも、『フラニー』や『ゾーイー』や、シーモアの結婚式——もちろんシーモア本人は不在だけれども——を描いた『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』までは、単純に小説としての観点から十分楽しめるものだった。だが、そのあとに書かれた『シーモア−序章』、そしてシーモアが小さいときの日記だという『ハプワース16 一九二四』が発表されると、そこで描かれているシーモアという人物の姿に、そしてそこにある閉ざされた空気に、読者たちは混乱せざるをえなかった。そのなかで絶え間なく抗弁を垂れるシーモアは、読者の前に最初に登場したときの、バナナフィッシュのことを話してくれた青年とは別人だった。それはサリンジャーの心のなかにしか存在しない、観念の生き物でしかなくなっていた。つまり、サリンジャーが自分の手で最初に死なせてしまった、最高に魅力的なシーモアという人間を、過去に遡って記憶のなかでよみがえらせようと語れば語るほど、その姿は、非現実的で、ちぐはぐな、おぞましい生き物になっていったのだ。そこにはもう、『ライ麦畑でつかまえて』でホールデンが級友や教師たちを糾弾し、しかし愛さずにはいられなかった人間味のようなものはなく、作品全体を覆っていた距離感やユーモアの温かな感触は消えてしまっていた。だからわたしたち読者は後期の頃の本を読むとそこに読んでいる人間の入る余地が全くなくて途方に暮れてしまうのだろう。

晩年のサリンジャーは、自分の作品の権利やプライバシーを守ろうと訴訟や裁判三昧で、異常なほど神経質になっていった。若い頃から編集者や出版社や雑誌、批評家といった出版業界に不信感を抱いていたわけだが、そんな彼でも、唯一読者のことは信頼していた。むしろほとんど読者のために書いていたといってもいいほどだ。『フラニーとゾーイー』を出版した際も、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を出した際も、批評家達の評価は実際散々なものだった。けれども一般読者たちは、売り上げ——1963年のベストセラーとなった——によって、自分たちはサリンジャーの書くものを愛している、ということを証明した。そこにはたしかに作者と読者の揺るぎない信頼関係があったのだ。サリンジャーはそのとき、本の献辞を妻とふたりの子どもたちと読者に捧げている。

だからこそジョン・レノン暗殺事件のことを知ったとき、そしてその殺人犯はサリンジャーの本の愛読者で「自分はホールデンである」と言い張り、ジョン・レノンを殺した理由を『ライ麦畑でつかまえて』のせいにしているということを耳にしたときの彼のショックは大きなものだったにちがいない。またあるいは、そのときにはまだ軽く考えただけだったかもしれない。そんなものは勝手な言いがかりにすぎない、頭のいかれた一人の人間の妄想にすぎない、と。だが翌年に起こったレーガン大統領暗殺未遂事件も同じく彼の本のファンの手によるものだった。そうして世間はサリンジャーの作品に対して疑いの目を向けるようになった。サリンジャーにしてももはや読者のことが信用できなくなったのだろう。彼はさらに孤独に落ち込んでいった。そこにあったはずのあたたかな信頼関係は失われてしまっていた。そうして彼は、かつて献辞を捧げた読者のために小説を書くことをやめ、作品を自分のためだけに書くようになる。

 

「地獄とは何であるか? つらつら考えるに、愛する力を持たぬ苦しみが、それである、と、私はいいたい」

短編「エズミに捧ぐ」(『ナイン・ストーリーズ』)において、サリンジャー本人を思わせるX軍曹という人物は、『カラマーゾフの兄弟』からの引用であるその言葉を本に書きつける。その本はX軍曹自身が逮捕したナチスの下級官吏のものだった。戦争については何一つ語るべきではないという姿勢を貫いたサリンジャーにしてはめずらしい人物造形である。

若い頃に入隊を経験したサリンジャーは防諜部隊に属し、戦争の間ほとんどいつもタコツボのなかで過ごしてきたという。サリンジャーの娘が言うには——彼は娘のことを溺愛し、生まれた時にはフィービーという名前をつけようとしたほどだったが——娘に対しても、嘘をついたりごまかしたりすることには異常に腹を立てて尋問をしたという。そして彼は、怒りが落ち着いてから、娘に対し、言い訳をするようにこう述べる。「どうしようもないんだ、それがわたしという人間なんだ」。

サリンジャーは終始、戦争中も、戦争が終わったあとでさえも、このX軍曹と同様、「地獄」から抜け出せなかったのではないだろうか。実際、コーニッシュに家を買い、高い塀をめぐらして籠っても、お節介な記者や身勝手なファンたちは次々に押しよせて彼をそっとしておいてはくれなかった。彼の元恋人は彼からもらった昔のラブレターをオークションにかけた。地元の高校生は学校の新聞のインタビューだと偽って取材した彼の記事を売った。彼の名前を騙って勝手に作品を発表するものたちもいた。誰が敵で誰が味方なのかわからない状況だった。ある意味ではサリンジャーは精神的にはまだ戦場にいて、狭いタコツボのなかで、寒くて肺炎になってしまいそうな辛くて長い戦争の日々が終わるのをじっと待っていたのだろう。

小説家としてのサリンジャーはまるで神を演じるかのように、好きなものたちは死の世界に閉じ込め、生きているものたちもグラース一家という箱にしまいこんでしまった。けれど、もしかしたら、サリンジャー自身も、自分をコーニッシュの田舎——まるで要塞のような家のなか——に隠遁させることによって、自分をガラスのケースに閉じ込めてしまったと言えるのかもしれない。高い塀で覆い、汚れた声が入ってこないようにし、外の世界のことなど何も聞かず、何も言わないようにして。そうやってそのなかに入ったまま、今度は自分が出られなくなり、その結果何も書けなくなってしまったのかもしれない。サリンジャー自身がグラース家の一員となり、すべてが静止した世界に浸ったまま、そこから抜け出せずに、成長することができないままに、死んでしまったのかもしれない。実際、わたしたちが彼の本を開いたときに目にするのは、年をとってからのサリンジャーの姿ではなく、いつになっても三十二歳の頃の写真ばかりだ。

だが、あるいはそれは、一つの究極なあり方ではないだろうか。そもそも、小説や詩を書くという行為は、いつまでも今のままにしておきたい何かを、そのなか——文だとか、単語だとか、コンマひとつひとつ——のなかに、永遠に保存しておくような行為なのではないだろうか。わたしは自分がとっておきたいものを言葉にして、本のなかに保存しておく。そして数年後か、あるいは数十年後に、本屋や図書館や父親の書斎だとかで、通りかかったあなたは、偶然、わたしの本を見つける。そのときまでわたしが入れておいたものは、外の空気に触れず、汚されることなく、入れたときのままの形でしまってある。あなたは、その本をひらいて、わたしが見たものや感じたものを同じように手にとって、遠く離れたところでわたしたちはそれを共有する。といっても、そこに入れておくのはちょっとしたものだ。たとえば、雨のなか回る古い回転木馬だとか、歩道の縁石の上を歩きながら間違った歌詞を歌う子供の声だとか。詩がいっぱい書きこまれた野球のミットでもいいし、ガラスの割れた時計でもなんだっていい。とにかく、そんなものをたくさん入れておいて、それからユーモアをまぶして蓋をする。そしてセックスや暴力については一言も触れずに、ただじっと黙りこくっておくのだ。外の連中に何か話しかけられても、啞でつんぼであるようなふりをして。何かを書くというのは、本来、そういうものではないだろうか。きれいだと思うものをきれいなままの状態で、あなたに届けることができないのだとしたら、わたしたちがこうして身を削って書いていることに、いったい何の意味がある?

 

 

 

 

 

 

*引用文献・参考文献
J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳、白水社、一九六四年
J・D・サリンジャー『フラニーとズーイー』野崎孝訳、新潮社、一九七四年
J・D・サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』野崎孝訳、新潮社、一九七四年
J・D・サリンジャー『大工よ、屋根の梁を高く上げよ・シーモアー序章』野崎孝・井上謙治訳、新潮社、一九八〇年
J・D・サリンジャー『ハプワース16 一九二四』原田敬一訳、荒地出版社、一九七七年
ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー 生涯91年の真実』田中啓史訳、晶文社、二〇一三年
マーガレット・A・サリンジャー『我が父サリンジャー』亀井よし子訳、新潮社、二〇〇三年
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』文芸春秋、二〇〇三年