アナキズム特集 ——アナキズム関連作品リスト

アナキズムをさらに深く勉強したいという人から、

なんとなくアナキズムに関連する映画・漫画・小説が知りたいという人、

アナキズムってなんだかよくわかんないけど近づきたいなぁという人、

はたまたアナキズムとか別にどうでもいいし……という人まで、

あらゆる方々のためにぷらぷらメンバー+αが

アナキズム関連作品リストをつくりました。

あなたのアナキズムライフにどうぞご役立てあれ!

 

 

【アナキズムっぽい映画がみたいあなたに】

 

  • 三木聡(監督・脚本)『ダメジン』、2006年

佐藤隆太演じるリョウスケら三人組は、働きもせず毎日が夏休みのような生活を送りながら不思議と死なずに生きていた。ある日「インドに行けば一生働かずに済む」という知人の助言と「インドに行って地球を滅亡の危機から救え」という宇宙人のお告げを受けた彼らはそのための資金100万円の調達を企てる。そこにトルエン中毒の幼馴染、その恋人で出所したてのヤクザ、潰れかけの町工場の面々、バイク事故でサイボーグ化した地元の先輩など様々な人々の鬱屈が絡み合い……やがて決行される銀行強盗というクライマックスは、しかしどこまでも祝祭的で異様なほど瑞々しい。真夏の川崎を舞台に、常にすでにアナキズム的であらざるをえない生のかたちを乾いたナンセンスをもって描く寓意なき寓話。

(しだ)

 

 

  • マット・ロス監督『はじまりへの旅』、2016年 

厳格なナチュラリストの父は森の中で6人の子供に英才教育を施し、サバイバル生活によって資本主義と決別した暮らしを送っている。そんな一家がまぁ色々あって下界に降りるわけだが、さて、社会に触れた彼らはどうなってしまうのか?というお話。クリスマスを祝う代わりにチョムスキー生誕祭をおこない、コーラのことを“poison water”と呼び、食べ物を救おうとスーパーで万引きしたりとすげー笑えるのだが、あれ、でも、そもそも私たちだってなんでキリストを祝って、砂糖水がぼがぼ飲んで、余った食料を廃棄処分なんかしてるんだろう?とこの映画はふと立ち止まらせてくれる。ちなみに原題は“Captain Fantastic”。現実離れした風変わりな父親を指しているわけだが、“fantastic”という言葉の通り、素晴らしいものはいつだって空想でしかありえないのだろうか。

(深沢)

  

 

  • デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』、1969年

ニューオーリンズ目指して、ただそれだけでバイクを走らせる二人。なんてかっこいいおっさん達だ。初めて映画を見たときはそう思っていたけど、公開当時の主演二人の年齢は29歳と33歳と、案外若い。この頃も今も、自由はいつも綱渡りで、脆くて、孤独だ。けれどこの旅の中では彼らは決して一人ではなかったということが、いつまでもこの旅を夢心地にさせてくれる。一人では自由の中で笑い続けることはできないし、戦い続けることも難しい。だから彼らに生きていて欲しかったと同時に、自由のまま時を止めて死んでしまったことに、どこかでほっとしているのかもしれない。

(伊口)

 

【アナキズムっぽい漫画や小説を読みたいあなたに】

 

  • ダグラス・クープランド『ジェネレーションX 加速された文化のための物語たち』黒丸尚訳、1995年

日本で言うところの「しらけ世代」に該当するアメリカの「X世代」の男女が、拝金主義・エリート主義から逃れて沙漠で共同生活をする話、ではあるのだが「ストレインジラブ生殖」(自分がもはや未来を信じられなくなったという事実を補うために子供を作ること)、「職業スラミング」(責任を回避するために自身の技能よりずっと低い職業に就くこと)など黒丸尚訳の注釈によって彩られた文章は独特の雰囲気を持つ。『リアリティ・バイツ』の原作でもあり本作なくして『ファイトクラブ』もなかった。91年に刊行されたがyoutubeもインスタグラムも射程に入った現代人と文明について考えるための一冊。

(ねこ)

 

 

  • いがらしみきお『かむろば村へ』新装版(上・下)、小学館、2015年

銀行員時代のトラウマからお金アレルギーとなり、過疎に悩む「かむろば村」に移住して一銭も使わず生きていくことを決意した高見武晴。とはいえ貨幣経済からの独立には当然、周囲からの施しが不可欠である。本作の特異性はそれを単に甘えと切り捨てず、高見が自立への志向と援助への依存を最後まで、矛盾を温存したまま両立させ続ける点にあろう。相互扶助的な共同体を理想化し賛美するのでも、また訳知り顔に現実の厳しさとやらを説くのでもなく、身勝手も献身も「ただ生きていく」こと――これほどシンプルにアナーキーなスローガンがあるだろうか?――のなかに自ずと織り込まれたものとして等しく肯定する。そのあくまで平熱の眼差しが快くもおそろしい、紛れもない怪作である。

(しだ)

 

 

  • ミシェル・ウェルベック『服従』佐藤優訳、河出書房新社、2015年

2022年、フランスにイスラーム政権が誕生する過程を一人の男の目線から綴った物語。変わっていく政治や体制という大きなうねりと、それについて行動を起こす人、傍観する人、立場を変える人たちが起こす様々な波に揺られ、船酔いしたような気分になる。「人間の絶対的な幸福が服従にある」という観念に、非イスラームの主人公が緩やかに侵食されていくのは、彼があまりにも無力で孤独だからだろうか。私たちは、例え困難な人生が待つとしても、身体的苦悩から逃れられないとしても、服従することに抗い続け、服従されることを拒絶することできるだろうか。胸の中にいつまでも澱が残る。

(伊口)

 

 

【アナキズムっぽく思考したいあなたに】

 

  • 千葉雅也『動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、河出書房新社、2013年
                    

今までジル・ドゥルーズの哲学における盲点である「切断的」な側面を引っ張り出すベストセラー。読むのに一苦労する本かも知れないが、そこから得られるものは多い。作品の伝いたいことを手短に説明すればそれはつまりタイトル通り、「動きすぎてはいけない」ということ。自身の行動の限界(「切断」)を認めるのは決して悪いことではない。今の社会構造は過剰な「動き」を強制する面があまりにも強く、局部で有限的な「動き」を肯定する社会構造を作るということは「アナキズム」に繋ぐ、この作品が提供した大事なヒントである。

(チョウさん)

 

 

  • ガブリエル・クーン『海賊旗を掲げて:黄金期海賊の歴史と遺産』菰田真介訳、夜光社、2013年



論文的な形式で書かれた研究書だが、読みやすい。作者は「黄金期海賊」の海賊行為をアナキズムと照らし合わせ、多方面から両者の同異を分析した。「海賊」というシンボルに対する幻想を暴きながら、海賊史の中にある政治面において活用でき部分を抽出する。全部とは言えないが、「黄金期海賊」の価値判断の中に、平等と自由を基準とする部分が想像以上に多かった。最後に気になる部分は著作権海賊の政治的意識の所で、もし海賊版の真の目的は資本を持続可能なものへの投資を促すことなら、持続可能なものを生産することとはどういうことなのかを考えなければいけない気がした。

(チョウさん)

 

 

  • 笠井 潔『国家民営化論―「完全自由社会」をめざすアナルコ・キャピタリズム (カッパ・サイエンス) 』、光文社、1995年


かつて新左翼の理論家だった著者は、連合赤軍事件を機に転向しマルクス主義の全面的廃棄を経て、“ラディカルな自由主義”を標榜する。ゆえに本書は、夜警国家や最小国家と呼ばれる「小さな政府」がなお維持する警察機構による治安活動をはじめ、国防に係わる軍事活動や司法の介入と調停さえも民営化せよと主張する。主張それ自体は資本主義の徹底の果てに国家を自壊に導く無政府資本主義の戦略だが、本書がとりわけユニークなのは復讐権、つまり被害者から犯人への決闘請求権に関する議論だ。死刑という超越的倫理を棄却し、報復感情に適った水平的批判の権利としてのいわば仇討ち。その突飛の無さこそ笠井の魅力であり、また経済自由化の裏側で権威主義的国家再編が世界的に進行する現在にこそ読まれるべき一冊。

(中里)

 

 

【アナキズムっぽくルポりたいあなたに】

 

  • 磯部涼『ルポ 川崎』サイゾー、2017年

本書では川崎という街で貧困や差別をはじめとしたこの国の抱える問題と隣り合わせに生きる人々の姿が活写される。もちろん一括りにできないとはいえ、第四章に登場するC.R.A.C. KAWASAKIメンバーによる言葉を引くまでもなく、中心的に扱われるBAD HOPが「Chain Gang」で歌うように川崎の人々はある種の“地獄”のなかで相互扶助的に生を繋ぎ留めている。そして著者である磯部涼もまた住人たちと同じように移動し交流することによってこの貴重な一冊を生み出したのだということを忘れてはならない。

(杉本)

 

 

  • 仙頭正数『『裏モノJAPAN』編集部セントウの「クレイジーナンパ大作戦20」』鉄人社、2016

「ナンパできるようになりたきゃどうすりゃいい?戦争で死ぬんだったらなんでもできそーじゃん?」

岡村靖幸の歌詞を地で行くような焦燥感でもって仙頭正数は「おもしろきこともなき世をおもしろく」するためにナンパを続ける。偽占い師になり街頭に立ち、自分としかマッチしない出会い系サイトを作り、金が有り余っていることを記した日記をあえて落とし、ラブレター風船を百個空に放つ。敵は迷惑防止条例。「革命ばかりを夢見るけれども何もできない」ならナンパでもすれば?ダンスもロマンスもないけれど、本当のチャンスがここにある気がする。

(ねこ)

 

 

【ゆる〜くアナキズムに近づきたいあなたに】

 

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』鈴木徹郎訳、講談社、1990年


互いを束縛せず自由であること。ムーミン一家が「いたって自然なかたちでしあわせ」(by冨原眞弓『ムーミン谷のひみつ』)であることの基盤には、この自由がある。放浪癖を持つムーミンパパがふらりと家出しても、誰も干渉しない。禁止の立札や公権力を嫌い、自由を好む旅人スナフキンも「ムーミンたちといっしょのときは、自分ひとりになれる」。本作はそんな空気に惹かれてムーミン屋敷を訪れる者たちのお話。しかし、ムーミン一家は不在だった。訪問客たちは一家の生活をなぞるように一緒に暮らし始めるものの、うまくいかない。めいめいが自立していてうまくいく、理想的なムーミンたちの生き方は「お話」の中だけのことなのか。ちょっとオトナめの、シリーズ最終巻。

(長谷川)

 

 

  • エーリッヒ・ショイルマン『パパラギ』、SB文庫、2009年

これは南海の島で生まれ育ったとある酋長がヨーロッパの国々をまわった際に、彼の目で白人の文明社会を見つめた記録である。いまや私たちの価値観に染みついている文明礼賛、資本主義、人間中心主義を、彼は単なる批判ではなく、生き物としての純粋な疑問や愛する島の仲間への警鐘として書き記す。特に印象的なのは『考えるという重い病気』という章だ。私たちは考えるのが大好きである。現代人の多くがすっかり精神や思想の虜であることを彼は見抜き、本当の賢さを一本の椰子の木から説明する。日頃前提としていた文脈が崩れ、積み上げた知識が砂のようにこぼれていく喪失感と心地よさを、読む度に感じることができる。

(伊口)

 

 

【ぶっちゃけアナキズムはどうでもいいが『ONE PIECE』は好きだというあなたに】

 

  • 尾田栄一郎『ONE PIECE』、集英社、1997年〜

『アナキズム入門』冒頭、「アナーキーとは『支配がない』という意味だ」という一文を読んで「え、つまりルフィのこと?」と思った人も少なくないのではないだろうか。

 

 (52巻 第507話)

 

海賊王を目指す海賊たちの多くは王という座に富や権力や名声をみる一方、ルフィにとっての王とは何よりもまず、自由であることだ。そんなルフィは他者と関係を築くときに見返りを求めたりしない(そのため彼は「同盟」というものを理解できない)。彼の行動パターンは「交換」ではなく、基本的に気まぐれという名の「贈与」だ。味方でも敵でも好きでも嫌いでもとりあえず誰かが死にそうになっていたら勝手に助ける。だからこそ彼に感化された者たちは、ルフィのことを勝手に支え、勝手に子分になろうとし、勝手に妻(仮)となって尽くすのだ。これぞ真の相互扶助!

 

この漫画では海賊という形を借りてさまざまな共同体の在り方が描かれているわけだが、他の海賊たちが自らを「〇〇海賊団」と名乗るなか、ルフィたちは自分たち仲間をまとめるような名前を持たず、あくまで外側から「麦わらの一味」と呼ばれているだけである。名前からすらも自由なルフィの考える絆とは、「囲い」となって縛りや排他性を生み出すサークル状のもの(たとえば「家族」=白ひげ海賊団、ビッグ・マム海賊団etc.)ではなく、いってみれば点と点とを横で結ぶ線状のもの(つまり「友達」=コビー、ボンちゃんetc.)であり、彼と一瞬でも関わった人々であれば誰でも結び得るようなゆるやかな絆なのだ。(なのでルフィは絶対に「結婚」しない。どんまいハンコック)。

 

大きな円で世界をすべて覆うことは不可能でも、無数に散らばったそれぞれの点と点を線で結んでつながることは可能である。『ONE PIECE』で描かれてきたのはルフィというたった一片(=one piece)から枝分かれして無数に伸びていった多種多様なエピソードの堆積であり、各地に住むあらゆる登場人物たちがルフィを通じて「ひとつなぎ」になっていく過程なのだ(それはあたかも世界中に散らばった歴史の本文:ポーネグリフをつないでひとつにしようとするニコ・ロビンの行為と相似を成しているかのようだ)。そうして「ひとくくり」ではなく「ひとつなぎ」になっていくルフィたちが、ゆくゆくは海賊王となり、「ONE PIECE(ひとつなぎの秘宝)」を手に入れ、人々を隔てるグランド・ラインという壁はなくなり、すべての海が混ざったオールブルーが実現し、あらゆる種族間差別がなくなり、奴隷は解放され、支配のない完全に自由な世界を作っていくのだ!……という読みで合ってますか、尾田さん?

 

ともあれ、そんな作品がこれほど売れてるってことは、実はみんなアナキスト志望なんじゃね?

(深沢)

 

 

 

 

 

執筆者一覧

 

・杉本航平

雑誌編集を経てフリーになるべく模索中。文学と音楽とコーヒーと煙草が好きです。

 

・中里昌平

大学院生。論考に「アートツーリズムとコンテンツツーリズム」(『地域デザイン』第11号、2018年)など。

 

・長谷川美緒

大学院で創作を勉強中。詩と小説を主に書きます。絵も描きます。

 

・チョウさん

日本で一浪を経てようやく大学院に進学したチョウです。文学と哲学両方とも駆け出しなのに、日本文学と西洋哲学の間の接点を探すという思い上がるにもほどのある目標をもち、猛勉強しております。副業として、ゲームのシナリオを書いています。スタンドアップコメディが今のマイブームです。

 

*いつものぷらぷらメンバーの紹介はプロフィールページをみてね!*

・深沢レナ

・伊口すみえ

・竹田純

近刊の担当書に『子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。』(http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b356681.html)、5月末に『日本のヤバい女の子』(http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b356682.html)があるよ。みてね!

・しだゆい

・ねこ石(New!

 

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