安全な場所 深沢レナ

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安全な場所

 

深沢レナ

 

昼寝しているあいだに窓から男が部屋に侵入してくる
男はわたしの上にまたがって性行為を強要し
悲鳴をあげるわたしの首を絞めて殺す
夢をよく見る
そういうときは大抵
目が覚めたあともしばらく動けない
汗なのか涙なのか
頬にしみて痛い
このまえ洗濯物の下着をイタズラされてからだ
昼寝をしていたあいだにベランダに入られた
窓は網戸にしたままで
薄い網越しに
犯人はわたしが昼寝をしているのを見ていたのだろうか
カチャンと新聞入れが閉まる音がして
目が覚めて
ドアの前に行ってみたら新聞入れにわたしのショーツ
少し考えてから
ベランダにいくと
下着だけが散らばっていて
動悸がはげしくなって
しばらく立ちつくしたまま
もしかしてと外の郵便受けを見に行く
鍵を回して開けると
わたしのブラジャーがきっちり畳まれて投函されていた
何が起こったのか
どういう意味なのかよくわからなくて
とりあえず110番にかけたら
すぐに制服を着た男が3人やってきた
玄関のドアを開けたまま
わたしは自分の見たものを説明する
犯人に心当たりはありますか?
首を横に振る
何も盗られてはいないんですね?
首を縦に振る
3人は顔を見合わせる
(きっとただのイタズラでしょう
そうして彼らは3賢者の贈り物みたいに3つの助言を残して去っていく
当面の間シャッターは閉めておいてください
女の子が下着を外に干すなんて無用心だよ
彼氏いるの? なるだけ泊まってもらいなさい
安全のため

 

水滴が顔を伝って
枕に小さな音を立てる
本棚の上の時計が1時を指していて
昼なのか夜なのかわからないけどきっと夜なのだろう
シャワーを浴びなきゃと思っているとスマホの受信音
今仕事終わったからこれから家いく
でもわたし映画見なきゃだよ
俺も見る
わたしはスマホを置いてベッドから這い出る
死んだみたいに冷えた廊下の床
さっと服を脱ごうとするがドアの覗き穴が気になって
念のため浴室のなかで服を脱ぐ
シャワーのお湯にあたり
こわばった体が少しずつほぐれていく
バスタブの上にのぼる白い湯気を
唸りながら吸い込んでいく通気口
むかしテレビで
振られた男が恨みを抱いて
元カノの浴室の通気口に隠しカメラを設置して捕まったという話をやっていた
わたしはちょっと考えを巡らせてから結論を出す
たしかに元カレは冷たい人ではあったけどそんなことをするようなタイプではなかった
普通の人だった
はず
上を見上げてなかを覗き込むが
網の向こうは真っ黒で何も見えない

 

背が2m近くあるから
彼が1Kのこの部屋に入ってくると縮尺が歪んで見える
ネットで買ったばかりの安物の白のカーペットに
30センチの黒い足跡がついているのに気づいたのか気づいていないのか
彼は靴下を脱いで廊下に放り投げ
キッチンに立ち
店からくすねてきたラム肉のシチューをタッパーから出し
鍋に入れて火をつけ木べらで掻き回す
まんべんなく
部屋にみちる獣のにおい
煮崩れた具を
皿に盛り
赤ワインを注ぎ
ローテーブルに向かい合って座って食べる
皿にスプーンが当たる音
いつも通り彼の仕事の話を聞きながら
咀嚼する
乱切りの野菜と子羊がわたしのなかで混ざり合う
骨をしゃぶり
ぜんぶ平らげた彼は立ち上がって
残った骨をゴミ袋に投げ入れる
ごろんとなった
彼は挿してあったアロマディフューザーのコードを抜いて
スマホの充電器のプラグを挿しながら唐突に言う
俺の勘だと犯人は案外普通の学生なんかだな
そうかなあ
そうだよ
そしてリュックから取り出しテーブルに置く
古びたポケットナイフ
むかし借金の取立てのバイトしてたときに使ってたんだこれ護身用に持っときなよ
わたしごしんじゅつなんかできないよと言うと
とにかくまず相手の手を狙えばいいんだよと言って
火傷の跡だらけの大きな手がわたしの手に握らせる
血のしみのついた柄

 

電気を消した部屋に浮かび上がる
ノートパソコンのスクリーン
ホラー映画なのに
うしろから彼が茶々を入れるからつられて笑ってしまう
こうやって二人で笑っていれば何も怖くない気がしてきて
寄りかかる
アルコールと油と汗のにおい
スクリーンのなかの女が怯えた顔をしている
静かになったら要注意
ほら
わたしの太ももをまさぐる大きな手
女が男に向かって怒鳴っている
大きな手はわたしの腰を抱き寄せ
脱がしてくるひとつひとつ皮を剥ぐみたいに
削がれたわたしは無抵抗になって
大きな手が軽々とわたしを抱きかかえて
後ろ向きにさせてわたしのなかを掻き回す
まんべんなく
煮崩れていくわたし
赤ワインにまみれて
女が叫ぶ
痛くしないから大丈夫と言ったのに
(信じる方が悪い
大きな手が音声をミュートにする
テーブルの上のナイフ
手足は切り落として
胴体だけの
四角いかたまりになったわたしを切り分ける
均等に
乱切りになって
わたしのなかで掻き回される死んだ子羊が鳴き
女は叫び
わたしは喚くが
わたしたちの声はミュートされている
行き場を失った声が暗闇に吸い込まれていく

 

下着泥棒にあった
って言うとみんな笑うから
わたしも一緒に笑った
大したことじゃない
ただのイタズラだから大丈夫
イタズラされた下着は
黒いビニール袋に入れて
固く結んで二重にして
燃えるゴミに出した
それから午後3時にはシャッターを下ろして
光が入り込まないように隙間をきっちり閉じた
やっと手に入れたわたしだけのこの空間で
昼下がりには電気をつけずにソファベッドに寝転がって
網戸越しに吹き込む風でカーテンが膨らむのを眺めるのが好きだったんだけど
安全のためには密閉しておかなきゃいけない
実家に知られたら一人暮らしなんかやめて帰ってきなさいとしつこく言ってくるに決まっているから
ちゃんと密閉しておかなきゃいけない
アンゼンのため

 

いつからか
他人が同じ空間にいると眠れなくなってしまって
たいてい考え事をしているうちに朝になる
いびきをかいている大きな塊を起こさないように
そっとベッドから抜け出る
廊下に散らばった靴下を洗濯機に入れてから
結局見終わることのできなかった映画を返しにいく
冬の早朝
見えないところで鳥が鳴いているのが聞こえて
息を吸うと
体の輪郭が戻ってくる
(大丈夫わたしはここにいる
白く息を吐き
大通りにはもうすでに車が溢れていて
通勤の人たちがちらほら歩いている
うっすら汗をかくわたしの体
坂を上り
レンタルショップ屋のポストにDVDを入れ
坂を下り
川に架かる橋
都電がカーブを描いて走り去ってゆく
ここは桜並木がきれいだから春になったら乗りにこようと考えながら
赤信号の交差点
ぼんやりと向こうの高いビル群を見上げていると
ふと
世界が揺れているような気がして思わず
ポケットのなかのナイフを握る
でも大丈夫みたい
青になった横断歩道を誰もが顔色変えずに歩いていく
揺れはおさまったのか
はじめから揺れてなんかいなかったのか
それとも揺れてないフリをしているだけなのか
よくわからないけれど
みんな普通の顔をしているから
わたしも何事もなかったかのように歩けばいい
(今までだってそうしてきたのだから
そうして帰って安全な場所にいればいいと
わかっているのだけれど
わたしは歩き出すことができない