アナキズム勉強会Ⅰ ——『アナキズム入門』に至るまで

Ⅰ 『アナキズム入門』に至るまで

 

 

——今日はプラトンとプランクトン企画アナキズム勉強会ということで、『アナキズム入門』の著者、森元斎さんにゲストにお越しいただきました。わざわざ新幹線で東京にいらしてくださってありがとうございます。
さっそく本題に入っていきますが、森さんはどういう暮らしをされているのですか? 現在の生活や思想に至った経緯はどういったものだったのでしょうか?

 

森元斎(以下、森) こんばんは。森です。一応今は福岡に住んでいて、大学で非常勤をしていて、あとは基本的に田んぼとか畑を耕す生活をしています。専門はもともとは現代の哲学で、博士論文はホワイトヘッドっていうイギリスとアメリカで活躍した19世紀末~20世紀初頭の哲学者で書きました。

一方でアナキズムはなんでやっていたのかというと、高校生のときって好き勝手できないなりにいろんな本読むじゃないですか。それで「ハキム・ベイ」とかいう人がいるとか「アナーキー」とかいう概念を知って、大学入って、授業を受けて、哲学の本を読めるようになっていって、中央大学で運動めいたことをやっていた。その当時、横目では法政大学で松本哉さんとかが「全貧連」(全日本貧乏学生総連合)みたいなことをやっていたんです。

2000年代前半ってそういうことが波及していた時代なんですよね。それをちょっと真似してみようかなって運動してたんですけど、大学が22時で閉まってしまうので、大学に24時間居座り続けてみるといった流れで、24時間鍋をやろうとコタツとか酒を持っていったりして、そうするといきなり警察みたいな民青(日本民主青年同盟:要するに共産党の学生部)っていう人たちがやってきて「お前何やってるんだ!」って(お前こそ学生だろ?なにやってんだ!って感じですけど)怒られながらコソコソやっていたくらいですね。だから大した運動自体はしてない。けど、その時に「ノンセクト」という、いわゆる新左翼ではない、つまり共産党を出自にしない運動体みたいなものがあるんだなっていうことを知って、で、僕らが自律的に大学の中で運動をやっていくなかで、先達にはどういう人がいるのかというのを見ていくと、中央大だと黒ヘル=黒いヘルメットをかぶったノンセクトという人たちが強かったんだよね。それをどんどん遡っていって、100年とかいって、バクーニンとかボチボチは読んでたんだけども、本業はあくまで哲学をやっていく中で、やりたいことというのはやっぱそっちの方だな、ということは薄々気づいていたんです。

 

←黒ヘルの方々(リンク元 )

 

だから僕の中では正規のルートとは異なるところに常にアナキズムがあったんです。それこそ中央大では指導教官とは別に、中沢新一っていう当時オウムの事件とかに関わっているのか関わっていないのかよくわからないけど、面白い人がいたんですよ。それで有名だし行ってみようと授業に行ってみたり、大学や大学院とは別のところで、平井玄さんだとか、酒井隆史さんだとか、フランス行ったらエリー・デューリングさんとか研究の外側でよくしてもらっていました。常に正規のルートとは違うところに生きていくことの面白さということを実人生でも体験していたんです。

正規のルートというのも僕の中では重要ではあるんですけれど、たとえば哲学の体系をちゃんとやるとか、哲学的な訓練を密教化したいとかいうわけじゃないんです。言葉を一言一句拾って行って、単語がどこにかかるのかを読解して、一日に読書会して半ページしか進みません、みたいな哲学的な訓練というのはあって、それは僕の中ではもちろん重要ではあるんですけれど、その一方でそれと別に自由に話したりするのも重要だった。そのバランス感覚というのは幸か不幸かあるんですね。

 

——フランスに行かれてから今の福岡に移り住むにあたっては何かきっかけがあったんですか?

 

 今福岡にいるのは、フランスにいる前後くらいに、パートナーが妊娠した、と。困った、と。で、とりあえずたまたまパートナーの実家が福岡にあったんで、パートナーの実家に帰って、そのうち子供とか産まれちゃって、それから6、7年経っているけれど未だに困っている、っていうのが今の状況です。

 

——森さんご出身はどちらでしたっけ?

 

 僕もともと東京の郊外に住んでたんですけど、9歳か10歳くらいまでプチブルのいい生活をしていたんです。それからバブル崩壊した煽りを受けて、父親の借金が発覚して、離婚したりして、母子家庭になって、東京の西の郊外に住み始めて、バブル崩壊してからは悲惨で、最低貧困層の生活、住んでた多摩ニュータウンでも最底辺の人たちの中で生活していた。その中で若い人たちのコミュニティというのがあって、何をするかといえば基本的にドラッグとか窃盗団だとかそういうものしかなかったんだけど、でもその時のコミュニティ環境というのが、人によるとは思うけど僕は居心地が良かった。そうやって日銭を稼いでたんだけど、大学入ろうかなって思って、一番近い大学が中央大学だっただけで動機も大してなかった。でも、本を読むって楽しいんじゃないの?って、読み続けていたらこうなっちゃった。

今、いろんな人がヤンキーについて言ってるから一概に「ヤンキー文化」って言っていいかわからないけれど、斎藤環とかが言っているのとは違う意味での「ヤンキー感覚」というのが僕の中にあって、そこに言葉を与えてくれているのがアナキズムだったんじゃないのかな。で、そこに少しずつ言葉が外堀を埋められていく感じで大きくなっていったというところはありますね。

 

——『アナキズム入門』は前著『具体性の哲学』とは文体が大きく異なっていますよね。いずれも魅力的ですが、『アナキズム入門』では森さんがアナキズムのありかたを文体でも表現することにチャレンジされたのでは、と思いました。今の文体に至ったのにはどのような影響があったんでしょうか?

 

 ほんとに「いずれも魅力的」だと思ってますか?(笑) 嘘つかないでくださいね。どのような影響があったかというとアナキズム云々以前のものが大きくて、雑誌の影響はあった。高校生くらいの頃にバンドをやってたんですが、当時今とは違って雑誌を読んでいた人が結構いたと思うんです。『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ)だったり『Quick Japan』(太田出版)だったり、その頃は「サブカル」って今みたいに変な風に言われる前のいろんなものがごちゃまぜになっていた時期で、まだ雑誌の媒体で読める状況だったんですよね。その時読んでた竹熊健太郎さんとかの文章の影響が20年越しに効いてきているというのがありますね。

あとは、今こういうふうに喋っている感じで文章書いたらどうなのか、と。横を見てみたら栗原さんもこうやって書いている。というか、もっといかがわしい感じでいっぱい書いてる(笑)。そういうふうに、ちょっと横を見てみたら実はいっぱいいるんじゃないか、と。ま、入門だし、人に話しかける感じで書いてみてもいいんじゃないかと自分なりに噛み砕いて書いた時の文体がこうだった。だから誰に影響受けたとかじゃないです。ある時期は査読論文に通すために哲学の哲学的な文体で書いていて、それはそれで必要だとは思っているんですけれど、今はそれとは別に好きな事をやっていくことも大切だと思って、『アナキズム入門』ではその両方が混じっているかもな、っていうくらいのものが書けたのかもしれない。

 

(つづく 

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