アナキズム特集 ——ゲストたちの本紹介

『アナキズム入門』で入門したあとは

こんな本を読むとタメになると思いますよ。

数あるアナキズム本のなかから

おすすめの4冊を激選!

 

 

  • 栗原康監修『日本のテロ 爆弾の時代 60s-70s』河出書房新社

バズーカ構えたセーラー服の女子高生の画像が重信房子の姿だと1万RTされる平成30年。この本は栗原康監修の仰々しいタイトルから期待されるような無茶な勢いではなく整理された版型でもって「まだ何も終わっていない」、「静かに熱く」と今の地点から諭し続ける。ここにはこの手の本にありがちなおっさんのノスタルジーも晦渋な文もない。だからこの本は東アジア反日武装戦線と竹中労と平岡正明とハイレッドセンターを併記し「世界を変える」とは何なのかを再考させる。何も知らない平成生まれのゆとりキッズがあの時代を手っ取り早く知るためのガイドブック。

(ねこ)

 

 

  • 栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』河出書房新社

「捨ててこそ」。鎌倉時代のお坊さん・一遍(いっぺん)の思想を一言で表すとこれだ。すべて捨ててしまえば、なんにも縛られないで自由になれる。なるほど正しい。ところが実際はそう上手くはいかない。武士だった一遍は、出家して流浪の旅に出た。だが、家族も出家してついてくるわ、弟子がいつの間にか増えて教団が立ち上がりそうになるわで結局また秩序ができてしまう。じゃあ、秩序なんかいらない、あらゆるものから解き放たれたいってときはどうすればいいのか? 一遍は踊った。踊って踊って踊って踊りまくった。ときに何日間もぶっ続けて踊った。苦しくても踊るうちに身体が勝手に動くようになる。今までの自分じゃないみたいだ。俺は、私は、まるで違う存在になれる。疲れとリズムと高揚感がぐちゃぐちゃになって、私たちは初めて人間であることを捨てられる。理屈だけじゃ自由になれない。ダンス・ダンス・ダンス。

(竹田)

 

 

  • 栗原康『現代暴力論「あばれる力」を取りもどす』角川新書

気になっている場所に行ってみたい。興味のある本を読んでみたい。好きな人と付き合いたい。こういう当たり前の欲求を当たり前のようにやることを、この本では「暴力」「あばれる」と呼んでいる。変だと思うかもしれない。だけどその当たり前ができないのが私たちが生きる現代だと、この本は繰り返し記(しる)す。だんだんと国の法律が、家庭や恋愛における不文律が、たいして根拠のない慣例や伝統が、私たちの「当たり前」をじゃましていることがわかってくる。暴れ方のヒントも書いている。ひとつはアナキストと呼ばれた先人たちの生き方。みんな苛烈でみんないい。真似はできないが、アガる。大事だ。もうひとつは暴動の起こし方。キーワードは「ゼロになって、共鳴しろ」。え? わかんない? 大丈夫、この本に書いてあるから。

(竹田)

 

 

 

  • 森元斎『具体性の哲学 ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』以文社

哲学者ホワイトヘッドの思想を実人生の時間軸に沿って辿りなおし、彼の探求をつねに「具体性」へと赴く歩みとして跡づける本格的モノグラフ。しかし本書の白眉は、ホワイトヘッド哲学の限界を「生成しつつある具体的なものそのものは語ることはできない」というアポリアをもって画したところから翻って、その「アナキズム的展開」を企てる最終部にこそあるだろう。そこでは「知恵」をキータームに彼の哲学が「具体的な生活に腰を据えて生きること」として敷衍されるのだが、とはいえそれは決して安易な「書を捨てよ」のアジテーションではなく、むしろパストゥールから大杉栄、鶴見俊輔まで参照テクストはいっそう豊かに増殖してゆく。その意味で本書は、言語の限界を見据えつつも哲学を――ひいては読むこと/書くこと全般を――具体的な生の経験に「言葉を与えていく」営みとして、なおも肯定するための試みとしても読みうるものである。

(……ところで私のもっているこの本の見返しには、刊行イベントの際にいただいた森さんのサインと「遊びをせんとや生まれけむ」とのメッセージが記されている。そういえばそうだった、と思う。生まれたときにはわかりきっていたはずことを、私たちはいつもたやすく忘れてしまうのだった)

(しだゆい)

 

 

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