うおの群れ 雛倉さりえ

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うおの群れ

雛倉さりえ

 

 青い空に、たくさんの魚が浮かんでいる。あれは魚ではなくミサイルで、でもほんものじゃなくてにせもので、大昔、空に灼きついた影なのだということを、前に夫がおしえてくれた。夫はうまれつき目が三つあって、まばたきのたびにたくさんのまつげがこすれ、羽のような音が立つ。身長は私の三分の一くらいで、毛の生えていない頭は、石みたいにつるつるしている。
 今日のお昼は外で食べようか、と夫が言い、私はうれしくなってぜんぶの腕をふりまわす。裏で採れたリンゴをかごに入れ、私たちは手をつないで家をでた。空は晴れわたり、見わたすかぎりのくさはらも、あおあおとひかっている。途中、ひと組の老いた夫婦とすれちがった。地面をこするほどながい腕と、うろこの生えた手を絡ませて、ゆっくり歩いている。すれちがいざまに、しわだらけの顔が二つ、こちらに向かってにっこり笑った。
 丘に着いた私たちは、並んで坐ってリンゴをたべた。いま、私たち、にんげんっぽい。呟くと、夫はうべなう。ぼくらはにんげんだよ。そうだ。私たちは人間で、生きることはたのしい。まいにちごはんが食べられるし、夫はいつもやさしい。でも。ままごとみたいだ、とときどきおもう。もっと正しいかたちをしたほんものの暮らしが、かつて、どこかに、ここに、あったのではないか。
 食事のあと、夫は私を草の上によこたえた。夫の頭はかすかに青く、舐めると塩の味がした。肩ごしに見える青空には、かぞえきれないほどたくさんの魚たちが群れている。こうやって、すこしずつ殖やしてゆけば、またもとどおりになるのだろうか。もとどおり、というのがなにを指すのかわからないまま、私はおもう。それとも、もう何をしたって、まちがいにしかならないのだろうか。
 風がふいて、花の香りがながれてゆく。夫が私の名前をよぶ。三つの目のすべてに、私の顔がうつっている。ぜんぶの腕と、ぜんぶの脚をつかって、私は夫をだきしめる。絡みあった私たちを、はるか天の高みから、魚たちが見おろしている。